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2013.10.16.(水)

トロッコ

「この川で今日から もう泳いじゃいけません」

「水が汚れてきたから もう泳いじゃいけません」

言われたけどこっそり泳いだ

楽しくて夢中で遊んだ

大きな石につかまって

魚といっしょに流れをこらえたり

仰向けで頭だけ出して 流されたりして遊んだ

ふと気がつくと あたりはすっかり暗くなっていて

そしたら急にこわくなって 川原に転げ上がった

サンダルが何度も脱げたから 手で持って走った

畦道を息もしないで走った

やっと家についた時 えらく叱られたけど

ほっとして 全部ほっとして

あの時の空の黒さに似て

あの時の心細さに似て

あの時のカラッポに似て

あの時とかけ離れた俺が居る


友人が、僕に話をしてくれた。

花火大会を見ようと、何キロも何十キロも離れた会場に向けて

自転車を漕ぎ出した。景色がとても綺麗だった。

川原にさしかかって、川沿いに行けば花火が見られると思って、

ずっと土手を自転車で走っていると、やがて夕闇があたりを

舐めるように覆い出した。

何だか不安になってきて、ペダルを漕ぐ足を速めたけれど、

黄昏の闇はそれよりも速く、彼を追いかけ、飲み込んだ。

彼は自分がいるところが分からなくなってしまった。

必死で自転車を漕いだけど、土手の道はやがて途切れて、

どこにも行けなくなってしまった。

土手にかぶさる高架の下の闇に怯えていると、

やがて彼は巨大に立ちそびえる水門にぶつかった。

怖かった。ただただ怖かった。

僕はこの話を聞いたとき、芥川龍之介の「トロッコ」という短編小説を

思い出した。

少年が、炭鉱夫の使うトロッコを面白がって、

彼らを手伝うようにずっとずっと押し続ける。

気が付くと自分があまりに遠くに来てしまったことに気づくのだが、

すでに日が落ちてあたりはどんどん暗くなっていく。

怖くて怖くて、家に帰ろうと駆け出すが、

とうとうあたりはすっかり真っ暗になってしまう。

やっと家の灯りが見えてきて、戸口にたどり着いて

家族が迎えてくれた時、堰を切ったように彼は大声で泣き出す。

僕がまだ4歳になるかならないか、そのくらいの時のこと。

僕は初めて、自転車を買ってもらった。おばあちゃんが買ってくれた、

大好きなサンバルカンのお面がついたやつだ。

嬉しくて嬉しくて、一日中家の横の駐車場を何周も何周も

飽きることなく漕ぎ続けた。

補助輪を片方外した。また何周も何周も駐車場を漕いだ。

カーブを曲がる時も全力で、補助輪が浮いているのを見た父親は、

もう片方の補助輪も外した。最初は何度か転んだけど、

すぐに乗れるようになった。全力だったから。

毎日、嬉しくて町内中漕ぎ回った。

ある日のこと、自転車でどこまで行けるか試してみたくなった。

隣り町のそのまた隣り町の、ずっと向こうまで行った。

暖かい春の日だったと思う。日向に照らされた草むらがサァっとなびくと、

風が見えるようで楽しかった。白いちょうちょがヒラヒラ舞っていた。

傾いた日があたりを赤く染めだしたから、僕はもう帰ろう、と思った。

一生懸命に自転車を漕いでいると、とある空き地に子猫がいた。

僕は嬉しくて、あたりに夕闇が迫っているのも忘れて、猫と遊び出した。

空き地の前の店が店じまいのために灯りを消した時、

その時初めて僕は夜の闇の中でひとりでいることに気づいた。

恐ろしかった。僕はまったく知らない街並みの中にひとりでいることに

信じられない気持ちになった。僕は子猫を放り出して、急いで自転車に

またがった。ただ全力で走った。昼間は暖かな春の空気も、夜は冷たく

耳のそばを吹き抜けていくような気がした。

家のそばまでやっとの思いでたどり着いたとき、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

母親だった。怒鳴りながら僕のそばに走り寄ってきて、

僕の前にしゃがみ込んだ。叱られると思うと怖かった。

でも、母親は僕の顔をじっと見ながら、僕の方に両の手をかけると、

大声で泣き出した。僕は、お母さんはなぜ泣いているんだろうと不思議に

思った。大人は、泣かないものだと思っていたから。

あの時から、どのくらい年月が経ったろう。

あの時から、僕はどのくらい遠くに来てしまったろう。

でも気が付くと、僕は今また、あの時と同じ場所にいる。

あの時と同じだが、まったく違う夜の中にいる。

僕はときどき、「トロッコ」を思い出す。

その「トロッコ」は、誰の心の中にも存在する。

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