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2018.5.15.(火)

雑記8

5月も半ばに入った。晴れの日も多いし、気候もちょうどよく過ごしやすい。毎年このくらいになると「五月病」なる奇病が日本中に蔓延して、多大な損失を生むそうだが、そんな気分もわからんでもないくらいの5月の青い空である。とにかく仕事だ学校だ、そんなことに時間を費やしている場合ではない、空がそう言っている。水が入り美しく雲の流れを映す田園風景や、楽しそうに生を謳歌する鳥たちの鳴き声、色とりどりに咲き乱れる花々、こういったものに目を向け、触れ合うには一番の季節だ。それ以上に大事なことがあるのか?と心が問うから、仕事が手につかなくなる。何だか無気力で眠くなるのである。だがそれは正しい信号のような気がする。

街のゴミ溜めの中にしか真理はないと思っている詩人やロックンローラーも多いことだろう。花鳥風月なぞ、と唾棄してやまない街人もいるだろう。だが、日本海に沈むあの赤くて大きいまん丸の夕陽や、畦道に咲く一輪の白い花。一体どれくらい前から連綿と生きていると思うんだ?地球もそうだが、草花やこの地球、あの太陽だって、生命体に違いない。すべての神は、あの太陽に人格を与えたものであり、すべての精霊は鳥たちや木々に宿るものなんだ。それらが実在するかどうかなんて議論は愚の骨頂だ。人間が、古来からどのように生命を感じてきたか、その想像力を問題にしている。

などと、、5月になると会社の上司に向かって壮大な演説をぶちたくなる人も多いと思う。上司だって内心そう思っているが、社会の仕組みが、そして上層部の圧力がそれを許さない。我々が戯言をごちれば、小言の一つでも言わねばならないのが彼らの宿命なのである。そう、だからあなたも会社や学校をやめるなんてことはよした方がいい。路頭に迷うだけだし、第一軽率と言うものだ。

その代わり、家に帰る途中、空を見上げてみたらどうか。そこには星空があるし、明るく輝く月がある。下を見下げてみたらどうか。アスファルトの隙間にだってタンポポは咲くし、蟻が行列を作って頑張っているかも知れない。星空を見れば自分なんてちっぽけだと思うかも知れないし、月を見れば見守られているようで安心するかも知れない。タンポポや蟻やら、疲れた時は小さなものに注目してみるといい。まだ生きていてもいいかも知れないと思うかも知れない。巨大な建造物は、人間を圧倒する。僕が個人的に感じることだけど、人間がいくら頑張っても仕方のないような環境の圧力を感じる気がする。星空を見て思うこととはちょっと質が違う。まあ、会社に勤めてたりすれば、ビルは避けては通れないかも知れないが。それより、ふと小さなものを見たり、聴いたりした方がいい。鳥の歌声とか。普段は流してあんまりよく聴いていないはずだけど、耳を傾けると、鳥たちが歌ったり話したりしているよ。

僕は鳥とか花とかに救われた気持ちになったことが何度もあるよ。本当。疲れたら自然に触れよう。
真理?そんなものはアホらしくなるかも知れないね。

真理。真理だってさ。笑っちまうよそんなものは。

 

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