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ブログ2018.6.14.(木)
雑記17
★「貧乏」はいい。仕方ないこともあるし、貧しくても心は錦という人もいる。でも「貧乏臭い」のはダメだ。どれだけ性格が悪くても、時に犯罪を犯したとしても、美しい音楽を作る人はいる。でも姑息な性格、ケチな性格、貧乏くさい性格、は歌に出る。これはとても聴けたものじゃない。
★音楽の善し悪しをミュージシャンの人柄や道徳性で決めること自体が本来間違っている。もちろん人柄が音楽に直結しているタイプのミュージシャンもいる。が、それはただそれだけの話だ。ミュージシャンは道徳で評価されるべき存在か?「あの人は人間としてダメだから、音楽を聴くに値しない」っていう考え方に触れると信じられない気持ちになる。それじゃあ音楽など永久にわからない。しかしながらこういった考え方は、世間一般ではむしろマジョリティーだ。
★簡単だ。世間など心の底では信じなくて良い。世間は僕たちの人生に責任を持ってくれる訳じゃない。僕たちの親でもない。「それは世間が許しませんよ」と言って生け贄を吊し上げる個人の集合体、それが世間だ。何かを語る時に世間を引き合いに出す人を、一切信じなくて良い。彼は怯懦の果てに人を裏切り、吊し上げ、殺す。
★しかしながらミュージシャンを始めとして、表現活動をしているような人たちは、その世間を相手にしている。世間に問わないことには何も始まらない。部屋の中で独りでギターをつま弾いて歌っていたのを、家から出て人前で歌おうというのだ。勇気ある表現者たちに花束を。誰にも頼まれていないけど表現を始め世間に問う人々。彼らは世界には必要な存在だと思っている。
★個人的に凄いなと思うのは、境界線上を歩く表現者たちだ。右に振れるでも左に振れるでもない。世間におもねるでも個人に埋没するでもない。ヤジロベーのように危うく自分なりのバランス感覚でもって歩く人々。「中道」と「中庸」は違う。
★かく言う自分も人のクズみたいな生活をしてきた。生きていても恥ずかしいだけだと思ってここまで生き長らえてしまった。ちゃんとしたい。けど、元々がクズだから仕方ない。ああ恥ずかしい。人に何か言えた義理じゃない。
★開き直りは必要だ。うつむいていたって何がある訳でもない。うつむいた顔を上げてさ。僕は行くよ。
★雨がしとしと降っている。「しとしと」「ぱらぱら」「ざあざあ」 日本語をもっと知りたい。
★日本人は「日本とは何か」を問うてやまない民族らしい。他の国の人もそうなんだろうか。日本とは?明確な答えはわからない。強いて言うなら日本語です。母国語の中にその「何か」がある。僕の見解。