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2018.6.29.(金)

雑記22

★病気になると、病床で何もできずに「健康ほど大事なものはない」と思い知る。で、病気が治るとそんなことはすっかり忘れて「健康を気にしているようじゃ何もできない」とのたまう。人は学ぶ生き物のはずだが、繰り返す生き物でもある。

★「健康が一番大事」と発言する大人たちを軽蔑していた。そんなんダッセーよって。今思う、「健康が一番大事」

★「健康が目的」じゃまずい。「健康は手段」であるべきだ。いや、もう普通に考えたら「健康が目的」で良いんじゃない?健康のためなら死ねる。

★生きて死ぬ以外の大事があるか?他は大体オマケ。

★音楽もオマケかと。オマケに決まってるでしょうよ。なくても人間死にはしない。「生まれながらに音楽家」とか「歌うために生まれてきた人」なんて一人もいない。「NO MUSIC,NO LIFE」なんて嘘っぱち。

★音楽がオマケなら聴く価値なんてないかと言ったらそうではない。オマケだからこそ価値があるもの。生活からこぼれ落ちたものだ。彼の残した遺産なんだよ。彼の生命そのものではない。しかし、音楽が聴かれている限り、彼が忘れられない限りは、彼は生きているのと同じこと。

★オマケのためにどうだこうだやっている。死ぬまでの暇つぶしに本気になった人々。僕が愛する人々。そうだ、それにこそ本気にならなきゃいけないし、面白くない。しかしながらそれに本気になれるってこと自体、恵まれている。感謝。

★雑記だから共感なんて求めない。額面通りに受け取られても迷惑だって場合もそりゃあありますよ。

★かく言う僕もニーチェや芥川のアフォリズムを「こいつ天才か」「いやこいつ馬鹿だ」とひとりごちながら読んでいたクチだ。人は言葉で生きているが、信じ切ってはダメだ。言葉はウソをつく。見るべきは行動だ。だから、ここに書かれている言葉なんて信じなくていい。けど、何回か騙されたことがないとわからないことも多いから。

★シンプルにものを考えることの難しさ。でもそうじゃなきゃって思う。考えるために材料が多ければ良い訳じゃない。情報を遮断することで見えてくるものも多い。新聞を読むのを止め、テレビのスイッチを切って、静かな夜に風の音や虫の音に耳を澄ますことでわかることもある。シンプルにものを考えることの簡単さを感じることができるだろう。

★皆ヒーローの登場と、彼の盛大な死を願っている。混迷の時代に捧げられる生け贄。

★新潟で齋藤と話していて「言葉を選んでいるようじゃダメだ」と彼が言っていて、そうだなと思ったんだけど。本なんかも読んでいるし、語彙は貧弱というわけではないはずなんだけど、そもそも人と対する時の言葉なんて選べるほど持っていないんですよね。それこそ生まれ育った環境も違うし、持っている言葉も違う訳じゃないですか。お互い日本語喋れるとかそういうことじゃない。日本人同士でも話なんて通じないことがあるのをご存知でしょう。違うんですよ持っている言葉が。だからお互い本当に通じ合う言葉のカードなんて選べるほど持ってなくて、感覚としては「探している」の方が近いかな。常に探している。探さなくてもすっと見つかることもあるし、探しても探しても見つからないこともある。別に一方的に放ってもいいんですよ。そういう本あるでしょう。会話はそうはいかないね。でも本読んでいても、最終的には会話になるんですけどね。自分と、文章の向こう側にいる著者との会話ですよ。

★最寄りの駅は終着駅。世界の一つの果て。

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