Blog

ブログ

2018.7.26.(木)

雑記31

★熊谷で暑さの日本新記録が出たとニュースで見た。命に関わるレベルの暑さにも関わらず、テレビに映る熊谷の人々の顔は何故か嬉しそうであった。

★昔運送屋で働いていた時の話。その夏も記録的な暑さで、その日は38度くらいになった。トラックの荷台の中で作業していて、そこは50度近くの温度になっていたと思う。暑くて暑くてたまらない、汗が開きっぱなしの水門のように吹き出し流れ落ちた。作業が終わり荷台の外に出ると、そこはまるでクーラーがかかっているような涼しさ。さわやかさすら感じるくらいであった。外は38度。人間の感覚って凄いなあと思った瞬間だ。ランチのためクーラーのガンガン効いたお店に入ると、アラスカ並の極寒の世界過ぎて死ぬかと思った。

★朗読ライブ『どくどく2』終了。言葉に向かい合うことは人生に向かい合うこと。その人の言葉はその人そのもの。それが選ばれたものにせよ、探されたものにせよ。

★20前後の時に読んでいた本のことを思い出すと、胸が締め付けられる懐かしさを感じる。それは在りし日の自分の姿、焼け付くような感情の記憶。年齢を重ねて何が変わったか?大して変わっていない。祭のあとの続きを生きている。

★長いことやっているとどうしてもマンネリ化してくる。しかし志村けんは「マンネリするまでやらないと意味がない」と言う。そこを越えたところにしかネクストステージはないということかな。

★福井の焼き鳥チェーン「秋吉」の焼きおにぎりがとても美味しいと思う。

★以前所有していたのと同じものだが、JOY DIVISIONの4枚組ボックスセットをメルカリというやつで買った。エアパッキンで包装されていなくて、ポスト投函された時の衝撃でCDのトレーが台紙から4枚とも外れてしまったのでシーリング剤を買ってきて直した。メルカリというやつはこういうことがあるんだな。

★P.I.L.のボックスセットが今度出るらしい。むむむ。

★ハッキリ言ってボックスを聴き込む時間はない。

★山登りに興味がある。が時間がないからと言い訳してやっていない。

★同じように興味があることはたくさんあるにはあるが、やっている時間がない。ないというか他のことのために時間を使わなければならないので、泣く泣くあきらめているのである。当然ながら優先順位はある。広く浅く、も良いと思うし、世の中をまんべんなく知るというのは必要だが、結局そういう世界に生きていない。でも広く何でもやってみたいという気持ちだけはあるのだ。

★1日24時間だけは万人に平等に与えられている。だけど、24時間を同じように誰もが感じられる訳ではないし、使える訳ではないんじゃないか。時計というものが時間を可視化し、誰にとっても同じように、絶対的に感じられるもののように思わせている部分はある。しかし楽しい時間は早く過ぎ、苦しい時間はなかなか過ぎないといったような経験は誰しもあると思うが、もしかしたら時間は絶対ではないのではないかといつしか思い始める。それだけではなく時間は存在すらしていない可能性があるが、それは僕には証明しようがないし、証明したところでどうしようもないし、時間の理の外に出ることは人間性を捨てることと同じ意味のような気がしている。過去の記憶と未来への想像が人間の本質を形作っている。そういった意味では、赤ん坊と狂人は時間の理の中にいない、彼らにとっては時間は存在しない、価値観というものの埒外にいる。仮に未分化の、意識的な枠の外側に詩というものがあるのならば、彼らは詩そのものなのかも知れない。ということは詩とは人間性の放棄なのか?そこには善も悪もない。「美」ってそういうものだと思う。いや、でもそれは生身の感覚では多分違うんだろうなと。仮に純粋な詩が時間の外、人間性の外にあるものだという仮定が成立するとしても、我々は言葉でそれを捉えるしかない。言葉は時間の中にあって、その捨てられない人間性こそが、我々に共有される「詩」や「音楽」なのだと。哀れな人間たち、我々は時間という概念から逃れることはできない。だがそこから自由になろうと手を伸ばすその一瞬に、ふと世界の真実の風が吹く。青い空を見上げて、赤く染まる夕陽を目の前にして、またはオレンジ色の夜の街角をうつむいて曲がろうとするその時、涙が溢れてくるのはそういったわけなのだろう。

★浜町の猫たちは元気かにゃー。あいつらも時間の外にいるよね。

 

コメントをどうぞ

CAPTCHA


内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。
日本語が含まれない、URLが4つ以上含まれる場合はスパムとみなされ無視されます。