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ブログ2018.10.30.(火)
雑記45
★東尋坊って地元に住んでるとあんまり行かないものなんでしょうね。僕はちょこちょこ行きます。県外からゲストが来ると案内したりってのもあるけど。東尋坊タワーもかなり古くなったけど、アレはもう建て替えた方がいいんではないかな。そんなお金ないかも知れないけど。中に入ってみると、まるで昭和の時代から取り残されちゃってる雰囲気がして、何とも言えない気持ちになる。僕はあの感じ好きなんだけどね。県内のメイン観光地として、そろそろ生まれ変わる時期なんじゃないかと。
★古き良きものに対する惜別の念は尽きないが、変化を恐れて変わり果ててしまったものほど寂しいものもないから。もっと軽やかに生きたい。
★現代思想(西洋思想と言い換えてもいい)が、問題を解決するために新しく問題を生み出してきた背景を鑑みるに、この世には白黒ハッキリつくことなんて実はほとんどないんじゃないかと思える。ツルハシで岩を砕くのでは手が痛いし疲れるからドリルを発明してみたんだけど、今度は騒音問題が立ち上がってきてしまった、みたいな。白か黒で物事を断じるなんて不可能だ、こぼれ落ちるものが多すぎるし、それで終わることなんてほとんどない。それに対して東洋思想はハッキリとした決断を放棄したようなところがある。色即是空であり空即是色で諸行無常なのだ。カオスがムニャッとしてヌルッとしているのだな。ボンヤリフワッと。どちらが良いとも言い切れないが、社会生活は時に答えを迫ってくるものだ。我々にできるのはその時々で取り得る最良の方法を選ぶことだけ。決断することだけ。
★沼田謙二朗が同人誌というか(同人はいないから彼の単独誌なのか??)、文章小冊子を作っていたので読んでみた。彼は考えるのが好きで書くのが好きである。その冊子の中で「超実存主義」という言葉を久々に目にする。19歳20歳くらいの時に僕もよく読んでいたカミュとかサルトルとかに対してよく使われていた日本語だ。何だか懐かしい気持ちになったのと同時に、再び鮮烈な印象を受けた。大体カミュがジツゾンシュギだどうだ、とかはあの当時は思ったことがなくて、僕は太陽が熱いからって銃で人を撃ち殺すってのがどうにもこうにも衝撃的で、これは一体どういうことなんだ?と一日中考えたものである。わかんないんだけど、わかるような気がするんだなあ。人の行動って何か合理的な理由に基づいてなされるって、大抵の人は思いがちじゃないか?それがそうなっていないっていう。不条理というのかな。これはカフカとかにも言えることであって。朝起きたら巨大なムカデになっていて、結局は家族にリンゴを投げつけられて死ぬんだよ。意味がわからない。っていうか意味って何だ?って話だ。「意味」なるものがいかにグラグラしたものなのか、わかっちゃったんだよね。下手したらそれは、じゃあ生きていても意味なんかないって結論にまで達しちゃう可能性もあるわけで。
★読書体験や音楽体験ってのは創造的なことなのか?上のできごとを踏まえると、そんなことは到底言えないという結論を僕としては出さざるを得ない訳です。いいように破壊されちゃってるし。今までそうだと思いこんできたものの根拠が揺らいで、時には粉々にされちゃったりする。読書体験とか音楽体験っていうのはそういう危険性を常に孕んでいるんだよね。それが生きる上で何か良い効用を生むか?って言ったら、疑問ですね。「本を読んだり音楽を聴いたりすることは良いことです!感性が豊かになり、人生を豊かに生きられます!」っていう文句が踊ってるのをよく見るけど。危ないですねえ。何にもわかってないクルクルパーの言いそうなことですよ。先のチェット・ベイカーなんてのも音楽にのめり込んでなければ農夫にでもなっていたんじゃないかと思うとね。農夫!いいじゃないですか。豊かな人生って何だろう?誰かがこういうのが豊かな人生だ!って言ってるだけなんだろうな。「いいね!」
★幸せなんか追い求めるから不幸せになるんだろうね。
★「雲一つない青空だ!」って思っても、空の隅っこに大体雲が所在なさそうに浮かんでいるのを発見するものです。でもつまりはそのくらいの気持ちなんです、「雲一つない青空だ!」っていうくらいの、ね。隅っこの雲には悪いですけど。
★『孤独のグルメ』マンガのゴローは芯の強いヤサオトコって感じだけど、ドラマ版で松重豊が演じるゴローはちょっと気難しさも感じるオヤジ。今プライムで観ている。不思議と孤独のグルメ観ていても、ああ俺も食べたい、っていう風にはならない。なぜなんだろう?と思うんだけど、もしかしてこれって狙い通りなんじゃないか?「食べるってことがいかに個人的であり、孤独な行為か」っていうことでしょう。食欲も極めて個人的なものでありそれとどう決着つけるかは、それぞれの問題なんだから…っていうのは考え過ぎか。
★ウソです。汁なし坦々食いたくなった。
★結局どう狂わされようが、どう生きようが、一本道なのは間違いないわけで。選ぶ前は選択肢も色々あるように見えたけど、終わってみりゃ引き返すことなどできない、一本道と同じ、それが人生なんでしょう。
★南無。