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ブログ2019.2.3.(日)
雑記53
★観た映画の中のセリフで「思考ってのは話す言語でできてる」みたいなのがあって、大いに頷いた。「新しい言語を学ぶと考え方が変わる」というセリフも。つまり、スペイン人はスペイン語を使うからスペイン人になり、日本人は日本語を使うから日本人になるという話だ。日本人は「日本とはなんだろう?」と問うてやまない民族だが(これって他の国の人もそうなのかな?)、僕の自分の中の答えは「日本とは日本語である」としたい。
★パッと思ったことを比較的短い文章で連ねていくこの雑記スタイル、以前書いたことを忘れて同じことを書いてしまいがち。しかしそれでもOK。
★学校が嫌いだった。勉強は、面白いと思うこともあったし、わからなくて辛いってこともあった。僕は特に理系の科目、数学だとか物理だとかが苦手だった。でも今は数学勉強しとけばよかったって思うし、今からでも勉強できればいいなって思っている(思うだけなら誰でもできるということもしっている)。本屋に『大人のための数学』とかそういう本売ってるでしょう。買うのは今の僕と同じような気持ちを持った人だろう。
★学校が楽しかったのは小学校くらいで、中高大と学校が嫌いだった。勉強を「しなきゃいけない」のも嫌だったし、校則とかそういうのも嫌だし、人間関係も息が詰まる時があった。学校っていうのはそういう環境に慣れさせ、上手く立ち回ることができる人を作る場所なんだろうなと思う。それは「社会」っていうものの一員になるためには必要なことなんだろう。でも、必ずあぶれる、落ちこぼれる者って一定数はいるんだよね。
★「何のために勉強するのか」わからないから勉強が嫌いっていう人も多いだろう。僕もそうだったし大いに理解できる。今になってわかるのが、勉強するってことは論理的思考ができるようになるってことと同義なんだろうなと。暗記することが勉強ではない(もちろん最低限必要なこともある)。数学や物理など何でやらなきゃいけないんだろう。微分積分とか因数分解とかnとかtとか。それは知るためのものではなく、こうであればこうなる、という思考の方法を学んでいるんだろうね。文系科目である国語や英語もそう。国語の存在意義を見いだせない人も多いだろうと思う。国語って「日本語」って科目名に直した方がわかりやすい。「日本語」にすると「勉強しなくてもわかるのになんでわざわざ」って思う人は増えるだろうけど。母国語を理解するっていう何より大事な意義なんだと今は思える。
★日本語知らないと日本語ラップできません!切れ味鋭い日本刀のような世界レベルの日本語ですよ。
★日本語ラップするつもりはありませんけど。※ちょっとやらされたことはありますけど。
★「ほめられてのびるタイプなんですよね~」って自分で言う人見るとイラッとしちゃうの俺だけか?
★トランペットは一進一退。息を上手く使って、とかは歌と同じだな。歌も息が8割大事って思う。
★世の中には信じられないくらい強欲だったり、意地悪かったり、自分の利益のためには他人のことなど意に介さないような人がいるってことを、たまにそういう人に出会うと思い出す。というか、「こんな人が本当に存在するんだな」ってそこで初めて知ったような気持ちになる。これは僕が世間知らずであるとも言えるんだけど、同時に僕は選択の末にここにいるということも感じる。自分の周りに、そんな人はほとんどいないからだ。自分はそういう人と付き合わないことを選んできたし、そういう人間を遠ざけてきたということなのだ。僕は「自分の好きな人とだけ付き合えばよい」という考え方に半分同意し、半分疑問を持つ。自分の価値観の範疇でのみ都合良くものを見て、解釈し、自分とは違う人間を頭から排除してしまいかねないから。嫌いな人と無理に付き合おうとも思わないが、自分を学ばせてくれたのは、いつも自分と違う価値観を持った人々であり、彼らとの衝突であった。でもそうは言ってもやっぱり、無意識のうちに僕は自分が本当に嫌だな、関わる意義が見いだせないな、と思う人とは距離を置いて、選択して生きてきたってこと。
★何人か人がいて、「自分にとって大事なのはどっちか。どの人か」って、僕は天秤にかける。人と人とを天秤にかけるということは本当に正しいことなのか、そんなことをしていいのかと思ったことももちろんあるけど、結局僕は色々な人、物、事をその都度天秤にかけて、選択して生きてきた。もちろん逆に僕が天秤にかけられたことだってあるだろう。
★決断することはスタートであって、ゴールではない。
★昔観たはずだが、ジム・キャリーの『トゥルーマン・ショー』と『イエスマン』を再度観る。芸能活動も私生活も近年ボロボロらしいジムだけど、頑張って欲しいものである。
★住むなら港町がいいなって思う。