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ブログ2023.1.22.(日)
雑記85
#雑記★先日、聖飢魔Ⅱのミサ(ライブのこと)に参拝した(観に行くということ)。初めて聴いたのは中学校2年生の時で、十四歳だったっけ。まだギターは始めていなかったけど、その少し前からギターに興味を持ち、聖飢魔Ⅱを聴いていよいよ決定的にギターを始めたくなったのだ。聖飢魔Ⅱは文字通りというか、世紀末1999年いっぱいで解散することが最初から決まっていたんだけど(実は20世紀本当の最後の年は2000年なんだけど。それはさておき)解散ミサには行けず、もうミサに行くこともないのかと思っていた。その後ちょくちょく再結集するようになりツアーも数年に一度くらいの頻度でやってたんだけど、その頃は別の音楽にハマっていたりで、随分聖飢魔Ⅱから離れていた。それに、二十代半ばくらいにお金に困ってCDやらを全部売ってしまったことがあって、聖飢魔ⅡのCDもすべてその時に処分してしまったのだった。それが今から5年くらい前かなぁ?無性にまた聴きたくなって、全オリジナルアルバムを買い直した。それでやっぱり、ああすごく音楽的に素晴らしいバンドだなと。ミサもそのうち行ければなあと思っていたがなかなか行けず。ところがひょんなことで、知人からミサに行けなくなってしまったと参拝券(チケットのことね)を譲っていただいたのだ!構成員(メンバーのことです笑)の中でも贔屓にしているエース清水長官(ギターの人、いやもとい悪魔)はもうツアーに参加してないんだけど、それでも初めてのミサはめちゃくちゃ楽しかった!
★何を隠そう高校に入ってギターを始めて最初に覚えたのは「蝋人形の館」のリフである。
★今の自分の音楽性には聖飢魔Ⅱの影響ってそれほど表立っては表れていないと思うんだけど、やっぱり中学生くらいの時までに熱心に聴いたものって、身体に染みついている感じがする。自分にとってはそれは、安全地帯(玉置浩二)であり、井上陽水であり、久保田利伸であり、B’zであり、聖飢魔Ⅱだと思う。それ以前にはアニメ音楽やゲーム音楽。この辺が自分のルーツオブルーツであることには間違いがない。
★今の自分に表立って表れていないものでも、まるで身体の内側を走る脊髄のように自分の中にあるものは膨大にある。これが本当の意味でのバックボーンというものだ。何かを聴いて「これを採り入れてみよう」というレベルのものではないのだ。それは意識の深い層に、まるで太古からの母なる記憶のように、またはウイルスのように潜伏しているのだ。それが不意に表に出てくる。イメージはあっても、自分のアウトプット力(おもに知識や技術)が足りないがためにその時点では形にできないものもたくさんある。
★昔は結構春が憂鬱だった。今は、冬を越えて春を迎える喜びを知ったけど、それでも昔の記憶は残ってる。
★すべての季節が好きではある。意識が際立ってくるのはやっぱり冬だ。寒いから外界と身体の境界がはっきりしてくる。
★夏はその境界が融ける。暑さで身体の輪郭が曖昧になる。意識も外に漏れ出すような感じがある。
★スコットランドに行きたい。憧れというか、行かなきゃいけないような気がする。きっと北陸に似ている。スコットランドの小さな、特に何もないであろう田舎の街々を車で見て回りたい。
★中学生の時にイギリスに行った時は、食事が良くなかったり体調を崩したりで、もう行きたくないとすら思った。あんまりイギリスの良さも発見できなかったし。もちろんイングランドとウェールズとスコットランドと、また北アイルランドなどもそれぞれ違うんだろう。今ならそれを発見できるし、楽しめる気がする。
★写真はスコットランドのグリーノック(Greenock)という街。好きなミュージシャンが生まれ育った街で、いつか行ってみたいところ。俺が住んでいる街に似てるんじゃないだろうか。そんな気がする。