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ブログ2023.2.9.(木)
雑記86
★イベントを雪の影響で中止にした。誰のために何のためにやるのか?そんなことを考えた。
★雪の時期の県外遠征は数年前からやめることにしているけど、県内のライブも自分から決めたりするのはやめようかなって思ってる。インプットと制作に集中する期間にしようかな。
★失くしたはずのものを取り戻すのか、それとも手に入れてすらいなかったのか。
★「日記をつけ始めると表現までいかないんだよね」「(日記を書く人は)表現者としては伴走者で終わる」と、ある本で押井守がした発言の意味を考えている。自分を語るってとこで終わってしまうからかな。「自分を語って何が悪い、それが表現だろう」という声が聞こえてきそうだけど、個人的にはやっぱり突き詰めていくと自分を消し去ることでしかたどり着けないところがあるんじゃないかと。
★日記をつけようと、今までの人生で何回試みただろう。一度も続いたことがない。そんなもの書きたくも何ともなかったのかも知れない。
★言葉にできないんじゃなくて、言葉にすることに嫌悪感があったりする。どこかで言葉を信用してないし、言葉にならないモヤモヤした、ジリジリした何かに尊さを感じるからだろう。しかし信用しようがしまいが、言葉で生きていくのが人間だし、言葉という形を借りて歌はできている
★「言葉にするなよ。その瞬間にもう遅れてら」バガボンド。命のやり取りだったらそういうことになるのだろうな。歌で命のやり取りになることはない。だが魂の交感ではあるだろう。それで人が死んだりもするかもしれない。立ち上がることもできるかもしれない。
★以前、小田和正の「言葉にできない」という歌を聴いて「ふざけるな、言葉にするのが歌手だろう!」と発言する人に会ったことがある。いやいや、そういう歌なんだよって苦笑を禁じ得なかった。当たり前だけど歌を解さない人がいるっていうことは、知っておかなくちゃいけない。
★なるべく「魂」という言葉は使いたくない。嫌っているわけではない。でも特に日本人はその言葉に囚われてしまいやすい気がする。なぜだろう
★Twitterとかいよいよ投稿する気が失せてきた。
★ラーメンのスープの温度が低いことは、裏切りである。そういうのに限って「一杯入魂」とか張り紙がしてある。
★「気持ちで歌うな、技術で歌え」日に日に重みを増してくる。
★ラーメン屋だったら食って不味けりゃもう二度と行かないだろう。なぜ音楽などの表現はそういうところから免れられると思うのか?
★賽の河原の石積みと、シーシュポスの岩。
★何となく 時が過ぎるのを待つ すべてが終わっていくのを 落ち着いて 腰を下ろして眺めてる 耐えられないと思っていたこんな毎日も そんなもんだって受け入れて 笑って
★日露戦争絡みのマンガを読む。野田サトル『ゴールデンカムイ』江川達也『日露戦争物語』。ゴールデンカムイはエンタメ作品としては文句なしに面白い。史実的にはわからないけど。『日露戦争物語』は秋山真之が主人公で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』と被る。江川氏は山本権兵衛を主人公にしたかったが、編集は秋山で行こうと言ったらしい。江川達也をマンガ家としてあんまり評価してないけど(というか人的にアレなんだろうな…)、勉強になるマンガだ。軍関係だけでなくて真之の同級の正岡子規や夏目漱石、南方熊楠などいろいろ出てきていい感じの群像劇になっている。けどこの作品は日清戦争までで打ち切りに合い終わってしまった。日露戦争物語はともかく、江川達也のマンガは大概最初は面白いけど、後半に行くにつれてどんどんひどくなる。タルるーとのころからずっと同じ。まあひどくなるっていうのは一つの見方に過ぎないけど、貫徹するっていうのは本当に難しいことなんだな。
★良い悪いは置いておいて、明治時代っていうのはすごくエネルギーのある時代だったというのは感じる。そういう風じゃないと、西洋列強に飲み込まれてしまったんだろうと。
★ヒグマは恐ろしいけど、やっぱり惹かれてしまう。人間の想像を超えた、大自然の化身みたいな生き物だからかもしれない。福井でも夜に車を走らせていると、タヌキやキツネに出会うことがある。この世界に生きているのは人間だけじゃないという当たり前のことを思い出して、神聖な気持ちになる。
★個人的には司馬史観を危険視している。
★「個人的には」っていう枕詞ももう使うのやめたいなと思い始めている。
★冬の荒れた日本海を見ていると、やっぱりこれだなって思う。春になるのが少しさみしくもある。
★ここ近年胃が良くないので、最近ではコーヒーを常備して飲むことを試験的に止めている。だけど飲むとやっぱりコーヒーって、相当いいね。本当は一日10杯くらい飲みたいな。