Blog
ブログ2025.6.16.(月)
雑記87
★娘が1歳3か月になった。いろいろあったけど、今のところスクスク元気に育っている。
★娘にどんな絵本を読ませたらいいだろうか?と思い、あまり詳しくないので色々調べて図書館で借りたりして読んでいる。ここ3週間で50冊以上は読んだが、娘どうのこうのの前に自分がハマってしまい、楽しんでいる。
★荒井良二の『たいようオルガン』は感動した。傑作だと思った。描く喜びが満ち満ちていると感じた。
★絵本における絵と文章の関係は、音楽における曲と歌詞の関係に似ているなと思った。ジャンルにもよるけど、言葉に頼りすぎるのはどうも良くない。絵本なら絵の、音楽なら曲やメロディの力をもっと信じること。
★ライブ活動を休んでいて、人のライブもほとんど行っていないが、先日金沢まで連日ライブを観に行った。連日遠出するのは妻に負担がかかるが、今回は行かせてもらった。1年か1年半か、それくらいぶりに会う人たち。自分の中では、つい最近会ったような気がした。時間は絶対ではない。存在しないんじゃないかとも思っている。
★この世のどこでもない場所、みたいなところがある。日本のどこかの街なんだけど、どこにでもあるし、どこにもない街、みたいなところに行った。実際には地図上に存在しているのでまた行くことができるが、昔から夢の中に出てくる、どこだかわからない街、のように思えた。20年前、30年前くらいにこんな空気の街に行ったことがあるような気もした。自分が今何歳なのか、どこに向かおうとしているのか、そんなことも曖昧になる、そんな体験だった。
★椎名林檎のファーストアルバムをひょんなことから久しぶりに聴いた。初めて聴いたのは1999年、俺が一浪の末大学に入学した年であり、このアルバムが出た年だ。入学後まもなく音楽サークルに入った俺は、サークルのライブで椎名林檎の曲を演奏することになって、初めて彼女のCDを聴いたのだった。「正しい街」や「茜さす 帰路照らされど」を聴いて、さらにそれが彼女が高校生くらいの時に作られた曲だと聞いて、天才だと思った。「茜さす」は16歳の時に作られた曲だそうだが、俺が20歳当時に初めて聴き、46歳になった今も、耳にするたびに涙が出そうになる。「ヘッドフォンを耳に充てる アイルランドの少女が歌う」俺はアイルランドの少女は架空の存在として聴いていたのだが、ずっと後になってそれがドロレス・オリオーダンのことだと知って、胸を打たれた。ドロレスはもうこの世にいない。「ヘッドフォンを耳に充てる アイルランドの少女が歌う」俺はこの歌を、今、ヘッドフォンで聴いている。この曲の中で、ドロレスは今も生きている。
★肉体の死が、終わりではない。そういう話をした。生きていると思った人が、実際にはずいぶん前に亡くなっていたとしたら。俺の中では、それを知る瞬間まで彼は生きていたのだから。「死んだらすべて終わり」あまりにも寂しい考え方じゃないか。
★風が吹いている。それは俺たちが感じる命そのものだ。