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2016.9.29.(木)

復活の旗印

高浜でのライブを終えた翌日。早朝から僕は福井駅でバスを待っていた。3日間の東京遠征の始まり。

 

高速バスも、僕は今まで夜行をよく使っていた。朝6時くらいに新宿につくやつだ。だけど、早朝に大荷物を抱えた状態で東京に放たれても、いつも甚だ時間の処理に困っていたものだ。それで夕方ちかくにライブハウスに入る頃には、何かすごく疲れたような気がしていた。

 

最近、朝バスがあるのを知った。小さなことも勉強だ。

 

この日は、四谷アウトブレイク。バンド時代から度々お世話になっているライブハウスだ。通常のライブ以外にも狂った企画を発信していて、東京都内で一番イカれた(イカした)ライブハウスだと思っている。どんな人でも受け入れる懐の深さがあるから、他のライブハウスの水が合わなくて彷徨っていたバンドも、四谷アウトブレイクに腰を据えるということも少なくない。

 

そんな四谷でthe8flagの満を持しての自主企画ライブにお呼ばれ。

the8flag。僕がバンド一寸笑劇時代に知り合い、何度も対バンしてきた。もう何年の付き合いになるのか忘れたが、出会った当時から強烈な対バンキラーとして名を馳せていた。ライブが凄まじすぎて、有名バンドだろうがなんだろうが食ってしまうのである。

 

でもボーカルの仁志とは、むしろ僕がバンドを辞めて以降の方が付き合いが深まったかも知れないな。それは僕が歌い始めて、仁志がその歌を聴いてくれて、ボーカリスト同士として向かい合えるようになったからだと思っている。

 

バンドとしてのポテンシャルと仁志の天才性を備えながらも、メンバーチェンジなどをきっかけに、the8flagは3年近くも活動の表舞台から鳴りを潜め、停滞し、燻っていた。その間仁志は細々と弾き語りなどをして自分と音楽の関係を保っていた。僕がボーカリストとして仁志と再び出会ったのはそんな時だった。俺は彼に言い放ったものだ、「お前はこんな位置で留まってるやつじゃない」

 

僕が福井で打って出た『全員レコ発』でも福井に来てもらったし、東京で対バンすることもあった。そんな仁志がまたthe8flagを再始動させようと、動き出したのは今年春くらいだったかな。かつてのメンバーは誰もいない。ギターは一寸笑劇の富山。かつての俺の同僚だ。ライブをする度に界隈に衝撃が起こっているのを、僕はネットを介して感じていた。

 

だから、彼らの久々の自主企画に声がかかっただけで、俺は嬉しかった。まだ終わっちゃいない、始まってもいないところからもう一度何かが始まるんだろう。


古巣・一寸笑劇。メンバーの結婚や出産などを経て、バンドとしてはゆっくりな活動になっているようだが、人間としての深みみたいな部分では前とは比較にならないんじゃないかな。

立川のドン、militarysniperpinfallも来ていた。

何て言うか、観ていて懐かしい気持ちになるんだよね。90年代、僕らが音楽を始めた時代の情熱を、今に蘇らせようとしているみたいに。

 

そしてthe8flagだ。もう昔のエイトじゃない。しかしその凄まじさは、まさにエイト以外の何物でもない。結局はエイト=仁志だったのかも知れない。が、周りのメンバーもその一部たろうと、仁志のエネルギーに拮抗しようというポジティブなケミストリーが今のエイトにはあって、そのある種やさしさみたいな部分が、どうしようもなく今の彼らを放出してやまないのだ。もう見た目から何から尖りまくっていた仁志は、そこにはいない。不安と怒りに苛まれていた僕も、もういない。だけど、一層高温の、青白き炎が、静かに内側で燃えている。

 

新しいステージに、我々は向かっているんだ。

 

それを、確認した。

 

 

 

 

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