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2019.2.7.(木)

雑記54

★待ちに待ったpanpanyaの新巻『グヤバノ・ホリデー』が発売されたので読む。やっぱり僕はこういうのが好きなんだろうな。

★読んだ本や聴いた音楽の影響がそのまま創作物に表れるとは思わない。むしろ大部分はそうではない。目に見えない形でその人の血肉になっている。それがバックボーンというものだろう。誰も自分の背骨が「親に似ている」なんて思わないし、そんなことわかんない。けどそれは厳然としてそこにある。目には見えないが、確かに受け継がれたものである。

★従って、自分が何に影響を受けているのか、自分を形成する要素は何なのかを正確に知るということは、もはや本人にすらわからないものだ。知らず知らずに地球の裏側の何かに影響を受けているし、もしかしたら宇宙から来たものもあるかも知れない。

★太宰は「人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。」と言ったらしい。これってどういうこと?

★「マニア」と「オタク」の違いがふと気になり考えていた。「オタク」には何となく「オタク」っぽさがあり、感覚としてはわかるんだが、それを言葉として説明せよと言われると自分の中でそんなに言語化できていなかったというか。友人にも質問してみた。僕は「オタク」だそうである。そうじゃないと思っていたんだが、自分のことを「マニア」とも思えなかった。両方において「知っている」ということが重要なのは言うまでもないが、自分の知識が他人と比べてどの程度なのか、ってのは実はあんまり考えてこなかったなあと。単純に自分が知っていて相手が知らない事柄であれば「自分は知っている」「自分は知らない」というただそれだけの話なんだけど、愛の深さとなると単純には量れないし。好きなものに対する向かい合い方とは、っていう話。

★文章を書く、作るとか音楽を作るとか言うのは言ってみれば「言語化できるかどうか」っていうことなのかな。音楽も言語であるという前提だ。それはもちろん同意するけど、「言葉にしたら終わり」っていう考えもずっと続いていて。「言葉にするなよ。その瞬間にもう遅れてら。今といいつつ、今にいないじゃねえか。(武蔵)」ってやつだねまったく。これは詩なんだね。刀を振ることも同じなんだね、きっと。

★簡単に「言葉にできない」っていうけど、それは言語化する努力を怠っているか、ただ野暮であるかっていうことだな。野暮はイヤだ。絶対に嫌だ。と言いつつ、自分にその能力がないことから目を背けている。という事実。その境界にいつもいる。

★同じことをいつかどこかで何回も書いた。これが低廻趣味というのか。いつまでたっても同じところをぐ~るぐる。

★「(トントン、と机を叩いて)これに価値を見出す人がいれば、それは音楽として成立するんだよね」っていうのはミュージシャン同士が飲み会でベロベロに酔っぱらった時に誰かが言い出しがちなこと。やれやれまたかってなもんで。自分だけでなく、ミュージシャン全体的に低廻グセ。これ1000年前から同じなんじゃない?

★仏教の初期経典を読むと、「議論はするな」と、かのお釈迦さまは言ったらしい。

★ロードムービーが好き。逆に嫌いって人、いるかな。なんだかんだみんな旅をしたがっているんじゃないか。そもそも人生は旅なんだろう。

★でも知り合いで何人か「旅は嫌い」って言ってる人いた。旅が嫌いな理由って何だろう。別に現状で満足している。めんどくさい。あ、これか。そもそも「面倒臭い」んだな、きっと。

★吉本隆明の詩論を昔読んでいて、「直喩が先で暗喩が後って思われがちだけど、実は逆。」って言ってたのには衝撃を受けた。「君はウサギのように白いね」ってのが「君はウサギだ」ってのより後だなんて。「白い」ってのは観念的なことであって、逆に昔の人は物を例える時に暗喩でしか表現できなかったんだと。科学が発達した現代人は、「君はウサギだ」っていう表現を詩的だと捉えるが、昔の人はそれが普通だったんだ。この説は本当に衝撃だった。これは確たる根拠があるわけではなさそうで、吉本氏の創見なんだけど、でも自分の子供時代を思い出してみると、ああ、きっとそうに違いないって思う。僕は水たまりに映る夕焼けと同化していた。何もかもが未分化の状態で、僕は何も知らず、それでいてすべてを知っていた。失ってしまったものの多さよ。取り戻せるのか。

★カレーを食べて溜飲を下げた。

★車の博物館を見に行く。歴史を感じるよりも未来を感じる瞬間もあった。昔の車は今の時代の僕には新しい。

 

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