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2019.5.29.(水)

ことばは路上の闇に溶け

5月22日。僕は福井駅前の昔ながらのアーケード街、「新栄商店街」にいた。

とある十字路にちょこちょこと集まってくる人たち。

このカラフルな看板がある十字路。そう、この日はここでイベントが開催されたのです。

これ!このイベントフライヤー見てくれた方も多いんじゃないかな。月一でカフェで開催されている朗読会『弾かず語り』。半分冗談で令和一発目の弾かず語りはいつもと違った感じでやりたいな、ってつぶやいたら、参加者の一人が外でやってみたら…何ていうので、実現した企画。このエントリではちょっとこのイベントの記録として書いてみたいと思います。

新栄商店街は、それこそ昭和のころからある通路狭めのアーケード。僕が高校生くらいの時にはこの辺の洋服屋で服買ったりしてた。その頃は駅前もこの商店街も人で賑わっていて、お店もたくさんあったけど、まあどこにでもある話、郊外にでっかいショッピングモールができて人がみんなそっちに流れちゃって、空洞化。シャッター街みたいになっちゃった。これは福井だけの話ではない。地方都市はそういうところが多い。新栄商店街は最近ちょこちょこ空き店舗で何かやる人が出てきたみたい。だけどまだまだ過疎な感じかな。

そういうところがこのイベントをやる上でプラスに働いたのは皮肉なんだけど、この商店街は住んでいる人がいなくて夜はほぼ無人状態になる。通路でイベントをやっても大丈夫、ということで許可してもらった。僕は映画やらなんやらで、路上で即興で詩を書いて通行人に読み、お金をもらう詩人の話を見聞きして、ストリートで朗読っていいなあ、って常々思っていた。現代でもラッパー同士が路上でサイファーやったりしてるけど、あれもそういうものじゃないかと思う。戦後の現代詩の詩人たちは随分観念的で難解な方向性に行ってしまって、市井の感覚を失ってしまっているように僕には見えた。アカデミックで衒学的なところに行っちゃった。あくまで全体的な印象の話ね。机上の詩という感じを受ける。「机上の詩」の反対は、やっぱり「路上の詩」なんでしょうか。

という訳で開催を決めて、参加者の集合を待っていると、そこに絵描きの松澤豊さんが現れた。久しぶりにお会いしたんだけど、会うなり「アトリエがすぐ近くにあるんです。絵を持ってきて飾っていいですか」との申し出。もちろん二つ返事で「OK!」いきなり素敵な事態になっちゃった。それって最高じゃないか?

『ストリート弾かず語り』の会場から歩いて1分のところに松澤さんのアトリエがある。古い洋品店の跡地を使っていて、その名も「アトリエ洋品店」!ここにみんなで絵を取りに来ました。

かわいい看板。松澤さんの絵、色使いは「ビビッド」っていう言葉そのものだ。

アトリエの中に入らせてもらった。カラフルの国に来たみたいだ。

松澤さんの絵は、生命とか宇宙とかそういったものの力強さ、喜びを感じさせてくれるね。

ご本人はシャイで平和を愛するナイスガイ。

絵を持って集合地点に戻ると、結構人が集まってきていた。絵も設置されました。みんな興味津々。

ああ。もう何か感無量。

19:30になったところで始まった!くじ引きで順番を決めて、いざスタート。いきなりの成分表示朗読(何のことやらわからない人は、そのうち出会えるといいね)、笑いに包まれ、場が和む。

ドンドン進む。今回はミュージシャン界隈だけでなく、演劇界隈、絵描き、サラリーマン、カフェの人、公務員、通りすがりの人、色んな人が参加してくれた。それぞれが好きな言葉を持ちよって、初参加の人は緊張したりもして、精一杯の朗読。

好きな詩、エッセイ、好きな歌手の歌詞、自作の人もいたね、どっちにしろその人が書いたり選んだりしてきたもの。その人のことが透けて見えるし、普通に話すよりもその人のことがわかったり。落語をやる人もいたし。厳密に言うともちろん朗読にも技術はあるけど、上手いも下手も関係なく、ただ言葉を感じたい、聴きたい読みたい、書きたい、そういった気持ちがこのイベントは一番大事。

僕も読みました、一周目は松澤豊さんの自作の詩を。松澤さん本人がいるし、「ご自分で読まれたらどうですか?」って言ったら「恥ずかしがり屋で人前が苦手なんです…」とのこと。OK!(笑) 松澤さんの詩を僕が読む。これも面白いことだね。他の人の詩を読むって。しかもご本人目の前にいるし(笑)。松澤さんかわいらしい人だなあ。

やっぱり演劇人の朗読は上手い。普段から訓練しているし、読むことにかけてはやっぱり素晴らしいものがあるね。よく声が通るんだ。でもそうでなくても、何なら表現活動とか全然していない人の朗読も、やっぱり思いがあれば伝わるね。逆にたどたどしい感じが、生々しいフィーリングとなったりもする。Fさんの紀行文はよかった。

そうこうしているうちに全員終わり。初めての参加者で、朗読後、名も名乗らずに全速力で走って去っていった人がいた。あれは一体誰なんだ。ものすごい印象を残して行ってしまった。色んな人がいる。

休憩後も2周目、3周目と続く。ここでアーケードの照明が落ちた。夜所定の時刻になると消えるのである。ちょっと暗いけど、これがなかなか非日常的な雰囲気になっていい。それに、ちょっと暗い方がみんなリラックスして読めていたみたいだ。米津玄〇や岡〇靖幸の歌詞も響く。am〇zarashiの歌詞にはホーッと歓声が上がっていた。

歩き回りながら詩を読んだりもした。何て言うか、詩を肉体的なものにするための一つの実験だったんだけど、人に読んで聞かせる、伝えるということになると全然ダメ(笑) ただ自分で詩を読む時にはいいかも。あと書くにもいい。歩きながら、走りながら詩を書くのが一番いいのだ(持論)。とにかく観念的になるよりも、歩きながら、飯食いながら、そんな風にして詩を書くといい。きっと。ついでにちょっと飲酒するといい。フワッとした方がいいんだね。すぐ横のエスニック料理屋でビール買って、ちょっと飲みました。他の参加者の方も、つられて飲みました。いいぞいいぞ。

本格的な演劇の脚本を読む人も。引き込まれる。自分で物語を書いたり詩を書いたり。やらない人からみたら魔法のように見えるかも知れない。けど、案外「できるかできないか」よりも「やるかやらないか」の方が大事で、どんどん書いて慣れることが大事かなと。そしてもちろん言うまでもなく「やりたい気持ち」が何より大事だし、「やってみた」は何より尊いよ。どうしていいかわかんないけどやりたい気持ちはあるっていうなら、多分できる。っていうかやれば0は1になる。これ、人生が変わる瞬間。革命って言葉は回転を意味するらしいけど(上と下の入れ替わりってことだ)、本当はこういうことを言うんじゃないか。0が1になることだよ。

2周目は先ほど恥ずかしがっていた松澤さんも読む。そういうことなんだよね。素晴らしいと思ったよ。自作の詩じゃなくて、ゲーテを読んでいた。いやあ、やっぱりゲーテは凄いよ。笑

クライマックス近し。中原中也の「春日狂想」がアーケードの闇に溶けていく。昼間は春というにはあまりに暖かく、夜は春というにはあまりに寒かったけど。

お陰様で個人的には素晴らしいイベントになったと思っている。こんな楽しい平日夜を過ごせて幸せだったな。色んな人の言葉を感じることができたのが嬉しかった。朗読イベントって可能性あるよ。音楽のライブや演劇のステージって誰でもやれるわけじゃない。厳密には誰でもやれるけど、やっぱり訓練を積まないとっていう部分がある。楽器とかね。お金取ってちゃんとやろうと思ったらなおさらだ。朗読ももちろん厳密には技術的なものはある。書くにしても読むにしても。だけど、言葉を理解することができて、発することができれば、とりあえず誰でも簡単に参加できる。しかも色んなジャンル、職種の人が一堂に会して読み合うことができる。どんな場から来た人にとっても有益になり得るものだと思う。詩人には詩人、演劇人には演劇人の、漁師には漁師の、サラリーマンにはサラリーマンの言葉がある。最終的に聞きたいし発したいのはそういう言葉なんだね。きっと。

またこういう機会は作りたいなと思っている。参加者の方々からも楽しかったという言葉をたくさん聞けてよかった。『ストリート弾かず語り』に参加してくれた皆さん、ありがとうございました。そして通行人の皆さん、ごめんなさい。笑

“ことばは路上の闇に溶け” への 2 件のコメントがあります

  • まがらさん:

    ストリート弾かず語り楽しかったですねー!
    是非またやりましょう〜♪
    どーでもいーけどラストの画像の私とノセさんに笑けました。何やってるとこなのやら。。。ふたりしてめちゃちっさいしwwwイロイロおかしいです。笑

    • 匿名さん:

      >まがらさん
      楽しい夜でした、ありがとうございました!
      何かお二人仲良さそうですよね。笑
      また機会作りたいと思います◎

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