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2019.11.21.(木)

雑記77

★北海道へ。青柳仁志と札幌で2本、倶知安で1本のライブ。念願のジンギスカン、寿司、ラーメン、いろいろ食べたが一番美味しかったのは仁志のお母さんの作ったご飯。

★北海道の歴史に興味がある。開拓という戦い、アイヌとの関わり。アイヌ人は縄文人の生き残りだというような話を聞いた。アイヌの生活の知恵、教えはインディアンのそれに通ずるものがあると思う。生命と自然に対する畏怖。北海道の人皆と話した訳じゃないのでわからないけど、彼らはフロンティア精神ってどのくらい自分の中で意識しているのかな。という素朴な疑問。例えば福井をはじめとした北陸の精神性って基本的には相当保守的だと思うんだけど、そこにある人の中に自分が保守的であるという意識ってそんなにないように思う(あるのか??)。北海道の人の中にDNAみたいに、開拓者の魂がどれだけ根付いているか、っていうのは感じてみたいかな。

★人に寄るだろ、とは言いつつ思いつつ、やっぱり県民性とかってあるよなあ、と。何がその人、その土地の人の性質を決定するかっていうことについてはいろいろ考えるけど、興味深いことだ。音楽や表現物にも関わることだと思えるから。食べ物、気候、積み重なる伝統…

★仁志と話してて、我々の作る音楽、歌には別に言いたいことや伝えたいことなんてない、という点で同意した。まあそういうメッセージを伝えるタイプの人もいるだろうけど、少なくとも我々はそうではないということ。僕はすべてのこと、すべての表現には意味があるとは思ってない人なんだ。いちいちこれの意味は?とかメッセージは?とか、正直んなもんねえよ、って思っちゃう。昇る太陽に意味なんてある?砕け散る波にメッセージは?不意に感じる寂しさは?確かなのは僕が今ここにいて、世界を見て、それを歌ってるってこと。

★思えば僕も昔はすべてのことに意味はあり、すべてのことは関係し合ってるって思ってたな。意味という病、関係という病。そういうものから解き放たれた時に、世界はなんて自由で美しいんだろうって思ったんだ。同じくらいの残酷さも。そんなもの実は存在してないのかも知れない。でも、感じられるってことが大事なんだ。っていうかそれがすべて。

★いち消費者の見解として、CDアルバム一枚が(3000円+消費税)という価格は、もう高過ぎると思う。もちろん、経済は需要と供給で成立しているので高くても欲しい人がいれば問題ないけど、世の中全体の傾向からしても、もう僕個人はアルバム1枚に3300円出す気にはなれない。死ぬほどファンである、例えいくらだろうが金に糸目は付けない、というならまあ仕方ないとは思うし、買うけども、けど心の中では高いなあ、って思う。これが偽らざる気持ちかな。しかしこれほど何十年も国内アルバムの本体価格が3000円で変化なし、というのも不思議な話である。

★CDがこれだけまだ販売されているというのは、日本くらいである、という話を聞いた。いろんな国の現場を見てないので聞いた話でしかないが、CDが廃れる方向性なのは間違いないようだ。日本はCDガラパゴス状態という。しかしそうだとしてもいち制作側の人間としては、CDというフィジカルなものがなくなるのは、やっぱりちょっと寂しいなと思っちゃうな。僕は自分では古いタイプの人間だと思っている。いまだにCD買うもんね。けどこんな僕でも次回のリリースはデータ版も、と考えている。CDの値段が上げられない、廃れていく世の中の状況にあって、それでもCDがないと寂しいってのはね。

★家電量販店に用があって行くと、たくさんの最新家電が面白い。ここまで来たか!という発想が面白いのだ。値段を見るととても買おうなどとは思わないんだけど。しかしこれから先、普及していく過程で値段は下がっていくし、スマートホンで家電を制御するとかも、もっと当たり前になっていくんだろうな。自分は古いタイプの人間だ、と書いたけど、スマホはとても便利だと思うし、テクノロジーの進化は簡単に否定するものじゃないと思っている。古いものと新しいものが渾然一体となった世界が面白いと思っているんだろうな、多分。江戸時代の生活様式のまま生きている人なんていないしな。

★けどあえて不便を楽しむというか、薪割って囲炉裏でパチパチ燃える炎を見るとか、そういうのの楽しさってある。例えばの話。先日の弾かず語りでもそういう話が出た。一夜明けたら江戸時代に戻っていたら…というような話。その状況を楽しめるか?…昔に比べて、いろんなものをいかに面白がれるかって大事だなあと思う自分がいる。昔は「面白い」っていう表現が好きじゃなかった。反・面白い。なぜだろうな。「面白い」ってつくづく、安易で深いワードだと思うよ。よくわからない言葉だな。「楽しい」ってのと同じかって言われると、いやそうでもないんだろうな。

★テクノロジーの進歩(と敢えて言おう)によって世の中の常識が変わってくると、倫理観にも変化が来る。更新を迫られる。落ち着いて注意深く観察したいと思う。この変化は、それこそ善い悪いではない。身構えるでもなく、流されるでもなく、そこにいたい。

★話は前後するが10月には広島にも行った。尾道、三原。福井を夜9時くらいに出て、下道で向かった。途中で左右から出てくるシカの群れ、トップスピードで車と並走してくる野ウサギ、脇からチョロチョロ出てきて焦らせる野ネズミを見た。そして真っ暗な山道で独り徘徊する白い服の老人を見た。心臓が口から飛び出すとはまさにあのような状況を言うんだろうな。結局老人が誰であるかとか謎は解けなかったけど、昼飯前に尾道に着いた。つづきはまた。

★北海道はニセコ近郊の「雪秩父温泉」に行った。近辺に近づいただけで車の中まで臭ってくる硫黄、初雪の粉にまぶされた山々、もうもうと立ち上る湯煙、泥が混じったような濃い温泉、すべてが素晴らしい温泉だった。ああいう温泉って福井にはないよなあ。服についた硫黄の臭いが、それから3日間くらい取れなかった。

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