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2019.11.28.(木)

雑記78

★チャリンコ漕ぐ漕ぐ。

★昔はうちのすぐそばまで干潟だったらしい話を聞く。自分の住んでいる町のほんの近くに、昔は違った風景があったんだ。町の古い写真なんかを見ると、川の河口にはボートレース場があり、町の中心部には映画館が3つもあった。今その映画館が建っていたあたりはただの何の変哲もない住宅街であり、小さな祠があるだけ。この祠のヌシは昔からこの界隈の時が流れゆくのを見ていたのだろうか。

★いろんな土地で「昔はこのあたりも賑やかだったんだよぉ」なんて話を聞く。僕が高校生くらいまでは福井駅前も賑やかで人も多かったので、わからんでもないんだが、そんなわずかな年数で変わるもんだなあ。シャッター街のようになり閑散としていた福井駅前だけど、ここ最近の再開発やらで多少人が増えてきたような気がする。80年代、70年代は相当賑やかだったようだ。片町のあたりとか。福井で昔から音楽をやっている先輩に聞いた。

★現在の福井の片町あたりの侘しさは嫌いじゃない。いや、どちらかと言うと呑み屋街は侘しい方が好きなのだ。鳥取県は米子の朝日町とか、先日行った三重の鈴鹿の呑み屋街(熟女ヘルス、なるものもあった)も、寒々しい感じで好きである。そんなに行かないけど、どうしても「場末のスナック」とかに憧れてしまうこの現象に名前をつけたいものである。

★俺たちが光で言葉が影なのか、言葉が光で俺たちが影なのか、そんなことはもうどうでもいい気がしてきた。ただわかっているのは俺たちの存在と言葉は不可分、もしかしたら同じものかも知れないっていうことだ。「ある」だとか「ない」だとか、そんなことを人間に気付かせ、意識のまな板の上に乗せてしまったのはアイツ。

★ジャンルでしか語れないとなると、結局そこまでなんだな。型の話に終始せざるを得なくなって、そんなん何が面白いのかって思っちゃう。

★今日で世界が終わるとしたら、どうしますか?などというよくある質問、どうしようかマジで考え続けたいと思ってる。どうしよ?

★最後の晩餐は何にしますか?何にしよう?以前はお茶漬けだった。今は、何だろう。

★今見ているエリック・ドルフィーのライブ動画。ソロがとんでもなく長い。風呂入ってる間も流しっぱなしで戻ってきたが、まだソロ吹いている。俺のフロが短い、という説も同時に成り立つ。ソロかフロか。見方はいろいろある。

★広島は三原で行ったラーメン店「まえだ」、本当に美味かった。繊細な味だったなあ。詳しいことはわからんけど。何か知らんけど美味い、すごい、カッコいい、そういったものには我々を失語症に陥らせる何かがあるね。表現することが野暮な場合だって、ある。

★例えばロックミュージシャンなどは、破滅的な人生を送っていないと良い音楽ができない、なんて考える向きもある。創作の源泉はバランスを欠いた状況から生まれやすいのは認めざるを得ない、抑圧とか、喪失とか、そういうこと。でもそういった人たちは、何かを生むために苦しい思いをし続けなければならないのか?喪い続けなければ、歌は生まれないのだろうか?僕はそうではないと思いたい。この前なんかのテレビでとある俳優が言っていた。人殺しの役をやるのに、人を殺さなければならない、なんてことはない。薬物中毒者の役をやるのに、実際に薬物中毒になってみせる必要などない。まあ、同じようなことだろうな。

★ようやく『キーチVS』を読了。キーチも最後に人としての当たり前の喜びを知る。当たり前は当たり前じゃない。音楽なんてなくなるのが一番良いんじゃないかって、実はそんなことを思ったりもする。けど、多分なくならないだろう。それは、人の哀しみがなくならないってことだ。わざわざ苦しむ必要なんてない、すべてのいのちが燃やす数限りない遠くのひかりは、この先も世界を照らす。

★田舎には何もない、なんて言葉を聞く。「何か」って何だろう?って考える。

★キーボードの隙間に、小さい虫が入っていった。出たり入ったりしている。助けてやろうと息をフゥフゥ吹きかけてるんだが、また中に入ってしまった。

★「やったもん勝ち」はまあそうかなって思うけど、「言ったもん勝ち」とか勘弁してくれ。下品だ。

★言わなきゃいけないこと、言わなきゃいけない時はあるかもだ。

★言葉は嘘をつく。俺たちの存在も嘘になっちゃうかもしれない。まあ大体嘘みたいなものである。

★それでも人は「ほんとう」を求める。

★人の気持ちなんてわかりっこない、って思い至るとこまで行かないとどうしようもない気がする。「人の気持ちがわかる」なんてのは思い上がりも甚だしいんじゃないか?わかりたいとは思うけど、結局誰も彼も他人なんだ、というある種当然のことを、わかっておかなきゃなと。そこから対話のあり方ってのが考えられるんじゃないか。わかったような気になって痛い目をみたこと、何度もあるから。

★昔からパン食はあまりしてこなかったし、食事がパンだと聞くと煮え切らない気持ちになったものだが、三国のパリ屋のパンは素晴らしいと思う。噛めば噛むほどにうま味が出てくる。ある種類のパンなどは噛み過ぎてアゴが破壊されてしまったほどである。

★カレーが好きなので当然ながらカレーパンも好きである。一番美味いカレーパンを作るパン屋はどこなんだろうとたびたび思う。一度色んなお店のカレーパンを並べて端から端まで食べてみたいものだ。だけど大抵美味いから、どこが一番とかどうでもよくなりそうではある。

★日本における料理/グルメ漫画の圧倒的な数の多さ。このジャンルがここまで成立するのって他の国じゃありえないんじゃないか。総じて日本の食卓はメニューの種類が豊かだし、、いろんな国のレストランもたくさんある。ここまでいろんなものが食べられる国って珍しいそうだ。昔行ったイギリス(食文化がアレなことで有名)などは毎日が同じメニュー。イモイモイモイモカリフラワーカリフラワーカリフラワーカリフラワー。当時、「こんなに同じものが続くなんて、この人たちは一体どう思ってるんだ???」と素朴な疑問を抱いたものだ。

★ブロッコリー結構食べるけど、似てるカリフラワーあんまり食べない。

★『将太の寿司』のベタな展開で泣く。病気の妹がいて、治ったらお兄ちゃんのお寿司食べたいとか。

★寺沢大介氏の『ミスター味っ子』には子供ながらに驚かされ続けた。同時に子供ながらに、「味皇って何だよ」って思ってた。『中華一番』に至っては、「料理マンガである必要ある??」とすら思った。

★夕闇がすぐ、僕らを見えなくするから。

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