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2019.11.30.(土)

雑記79

★むしろ考えがとっちらかった状態で書かれるから意味があるもの。

★今まで生きてきて、諸々苦労した一番の原因は、ものを筋道立てて考えられないことにあったと思う。生活面での話。これを解決するには、モノやコトをきちんと整理整頓すること(分類し、必要ないモノは捨てること)、決められたタスクを滞りなくこなすこと、基本的にはこれに尽きるような気がしてる。その点ではかなり改善されてきた。ところが、これが創作面となると話が違ってくる。創作の源泉は前にも書いたかも知れないが、欠陥や混沌といったバランスを欠いた状態の中にある。だが実生活がこの状態だと、遅かれ早かれ破綻を来す。となれば創作するにあたっては、こういったバランスを欠いた状態をどのようにしてか作り出してやる必要がある。これを一人の人間がやらなければならないのが、今の活動の状況。だからこそ面白いということもある。

★生活か芸術か、なんて問題は日本には存在しない。これは夏目漱石だかが発した言葉だが(誰だったか忘れた、別の人かも)、その意味をずっと考え続けている。日本には??

★芸術、芸術、などと言っているが、自分のやっていることは芸術などとはほど遠いし、芸術、芸術、などと言っている人たちが鼻持ちならないという気持ちすら抱えている。なぜだろうか?それはきっと、芸術、や文化、といったものが示すエリート主義的ムードにあるんだろう。かと言って、「わかるやつにはわかるし、わかんねえやつにはわかんねえ」っていうのもまた然るべき気持ちとして、確かにあることは認めなければならない。

★「わからせてやる」っていう風には実はそんなに思ったことがない。「わかるはずなんだ」とは思っている。けどこれでもまだエゴイスティックなんだよね。最近はまた変わりつつあると思う。「わかってほしい」。そりゃ当然。人情ってやつだ。でもケチなエゴイズムの向こう側にしか、ソレはないんだよな。

★正義感ってやつはやっかいだ。自分は正しい、その強い思いが他人を攻撃する理由になってしまう。それが自分に与えられた正当な権利だとすら思うようになる。そこに行きついてしまったら、もう自分ではわからない。

★ターミネーターの新作を鑑賞。ツッコミどころも多かったけど、ターミネーターのシュワちゃんを観れたのは嬉しかった。

★サブスクリプションの音楽サービスに加入しているけど、あんまり聴かなくなってきた。聴いたことないのちょっと聴いたりするけど、まずじっくり聴かない。大量のコンテンツを差し出されると、人間あんまり聴く気が起きなくなるものなのかも。「聴きたいけど買えない」とか「手に入らない」っていう状況にあってさらにそれを上回る「何としても聴きたい」っていう情熱、あれにはどうにも敵わない。youtubeも便利だけど、昔からあんまり観ないのは多分同じ理由なんだろうと思う。垂れ流されたものに、あまり価値を感じなくなっていく。

★情報が洪水のように氾濫する世の中にあっては、意識的にそれを遮断することで見えてくるものだってある。

★冬を迎える小鳥たちを見るのが好きだ。彼らは人間よりもはるかに強い。誰の力も借りず、自分たちの力だけで冬を越えようと生きている。

★中学生の時に運動会の粗品で貰った鉛筆がまだ机の引き出しにある。ちゃんと使って成仏させてやりたいもんである。

★暇があれば千鳥の『相席食堂』を観ている。

★清家雪子の『月に吠えらんねえ』、読むのに凄く時間がかかる上に何回も読まないといけない、気軽に触れられない作品だ。新巻が出る度、前の感じを忘れて読み直さなきゃいけないので、途中で読むのを止めて8巻まで買って読まずにうっちゃらかしてある。最近遂に完結巻が出たらしいので、年末時間を作って一気に読みたいと思っている。

★上記と同じ理由で宮本輝の『流転の海』を読まずにほったらかしてある。ライフワークみたいな長編小説だなあ。

★『進撃の巨人』も新巻買う度、前の展開忘れてる。けどこれはとりあえず読み進めてる。毎年12月に新巻が出るので、もうそろそろだ。

★せっかく買ったメガドライブミニだが、最近はまとまった時間が取れずやむなく放置。『ランドストーカー』が途中。もう操作もストーリーも忘れてしまった。

★夕暮れのコンビナートって、なぜだか切ない。写真は三重県の四日市。

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