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2020.4.27.(月)

混沌の文体

ゴールデンウィーク前後の、田んぼに水が入った景色が一年のうちで最も好きな景色かも知れない。それは、今から何か始める、始まるであろう期待感や、希望、ほんの少しの不安をわかりやすく感じるからなんだろうか。僕は人間が立ち上がる瞬間が、一番美しいと思っている。レッチリの『californication』 が泣けるのはそういうことなんじゃないか。それは完成度とかそういうのとは別の次元の話なんだよ。

いつだって「希望」っていうのは、未来に対して感じる何かだと思う。過去に希望を持つなどということは、みんなしないだろう。できないし。同じように、たぶん「絶望」っていうものも、未来に対して感じてしまうものなんじゃないか。過去の事象に対して絶望する、のではなく、来るべき未来の陰に怯えて抱く何かなんだと思う。それは「感情」とはまた別の…もちろん感情を持っていなかったら絶望などするはずもないのだが…得体の知れない何かなんだ。そうそう、動物は感情はあるけど希望も絶望も持たないな。彼らは現在のみを生きてる。人だけが、現在を生きられない。

ここに至って、僕は再び僕の「文体」を手に入れることを意識し始めた。それはこれまであったはずだし、今もあるはずなんだが、日々の流れの中でいつの間にか忘れ去られたものである。ここしばらくは細々とした意識などというものは邪魔にしか感じられなかった、誰もが若いころには好むと好まざるとにかかわらず付きまとわれる、苛まれる、例の自意識の肥大化である。「世界と融和していく感覚」というのは、少なくとも世間一般においては「大人になった」という言われ方をするものだが、慣らされる、とか均される、というのとはまた違うことのようにも思うんだけど。

昨今の状況に対峙して、自分の中でどういう変化が起こっているだろうか?大なり小なり起こらないわけはないとは思うんだけど、これからやって来る未来に対してビジョンを描けているかとか(未来に対してのビジョンなどついぞ描けたことなどないのだが)、自分はどうなりたいとか、ああだとかこうだとか、考えるには考えるんだけど、雑誌が予測する未来とは別の、何か欲求とか衝動とかなんだかに漠然と捉えられているのはきっと僕だけではないと信じつつ。

そうだな、文体が崩れているのは、来るべき夜明けの前の混沌、なんだよ。SVOC、とりあえず取っ払って、少なくとも取っ払った気分で、刻み込め、俎上に載せた鯉を、煮たり焼いたりと。そういえば最近、知人と「嫌いな言葉」についてのやり取りがあった、彼が嫌いな言葉は「とりあえず」だって。

僕は、結構口癖のように言うかもしれないね、「とりあえず」って。

悪くはないと、自分では思ってるんだ。

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