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2020.5.30.(土)

路傍の花

河口あたりを散歩していると、ちょうど太陽が水平線に向かっていくところだった。何で夕陽って、あんなに沈むのあっという間なんだろう?人生の黄昏時なんて言い方もあるけれど、年老いれば年老いるほど、時間というものは加速度的に進んでいくものなのだろうな。時間なんて存在しない、ただものの移動があるだけである。そう言ってる人もいるし、僕もそうかもしれない、なんて思ったりするけど、皮肉なことに僕たち人間は時間の中でしか人生を感じられないし、希望を持つことも、絶望することもできないんだよな。どうやったら時間から解放されるかって途方もないことを考えたりしたこともあった。動物は認識の世界にいないから、時間というものを感じることがない。常に瞬間しか知らない。らしいよ。記憶の中で生きたりはいないんだってね。僕は一般的な意味での動物じゃないからわかんないけど。ヒントは彼らが持っているのかも知れない。動物と接すると、いつもそう思うよ。けど、人間はもう彼らのように生きることはできない。ただ、赤ん坊と狂人だけが時間から解放されている。それ以外の人々は、死んで初めて時間から自由になる。生きている間に自由にはなれないのか?感じることはできるよ。実はそれがすべてさ。自由、なんてものは存在しないからね。生そのものが抑圧だ。しかし少なくとも生きることでしか自由を感じることはできないよ。何だか堂々巡りのようだけど。

僕は戦争を知らない世代だけど、最近なんか戦争みたいだな。なんてふと思ったりした。どこかで見た発言だが、「愛する人を守るため、大切な人を守るため、という言葉が聞こえてきたら注意しろ」なんて言葉があった。みんなそうやって、戦争に駆り出され、死んでいったのだと。まあ、いろんな意見があっていろんな立場があるさ。単純に何かを何かに当てはめて言い切れるものでもない。

風が吹いている。日が落ちるとまだ少し肌寒いけど、鼻先をかすめる風の匂いに、ほんの少しだけ次の季節が入り込んでる。

僕はその辺を歩いているだけで全く退屈を感じない、お得な男。お得という言葉に、スーパーの見切り品のイメージがわいてきた。これこそひどい当てはめだ。でも我ながらこれは才能だと思っている。何の役にも、誰のためにもならない才能だけど。夕暮れの川べりや、何の変哲もない住宅街を歩いているだけで、際限なく楽しめる。それが旅先でも。「どこかのアパートの塀の汚れや、トタン屋根の錆び方や、ベランダではためく洗濯物を見ているだけで楽しい」と知人に言ったら、全然理解できない、と言われてしまった。道端に、アスファルトと側溝の間のわずかな隙間に、何か白い花が咲いている。ああいうものとかさ。発見するのさ、今まで当たり前すぎて見向きもしなかったものに。

世間が唾を飛ばし合ってお互いの正義を主張している最中も、路傍の一輪の花は静かに風に揺れている。そんなことはどうでもいいって言ってるみたいに。

僕は何だか寂しくなった。今まで生きてきて、僕は何をしてきたのだろうと。その花の名前を知らなかったから。今この首筋をなでる、幾分夏の匂いが混ざった風に名前なんてないし、この感情に名前なんてない。「名づけえぬもの」こそが歌なんじゃないかって、そうも思う。

けどやっぱり、僕たちは誰かの名前を呼びたいんだな。僕たちは誰かに名前を呼んでほしいんだ。歌は名づけえぬものに名前をつける営みなのかな。

歌で言いたいことなんて別にない。メッセージ?意味?こめたきゃこめりゃいいよ。「目に見えるすべてがメッセージ」っていう歌の一節があったね。でもそれは、僕が、君がどう受け取るかって話だよ。僕はここにいるよって。それだけなのよ。僕が歌の中で言うことがあるとすればね。

路傍の花が、またふわりと風に揺れた。笑ってるな。
君の考えることなんて知らないってさ。

暗くなると、まだちょっと肌寒いみたいだ。

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