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2020.6.8.(月)

雑記82

★断片断片断片…走り書きのメモ、ちょっとした日記、Twitterの投稿…それらは僕が過ごしてきた毎日の断片。ぽろぽろ落ちる、落としていく過去の欠片。

★三島由紀夫のドキュメンタリー映画を観に行く。観客5人。三島に興味なんかありそうに思えない今風の若い男女。人を見かけだけで判断してはいけない。実際彼らはここにいる。

★大体見た目で判断できるとの意見も否定しない。内面は外面に顕れるという。そうかも知れない。

★過去を振り返らず前進しよう、とは言う、しかし自分がどういう人間だったか、その記録は過去にしかない。過去が我々を人間たらしめる。

★大雨、岩に染み込む雨水、岩肌からぽたぽた落ちてくる水滴…森の奥深く、その地底の人知れぬ洞窟の奥。目の光。深い息吹。

★ハンバーガー、米沢牛のハンバーガー。ベーコンは余計。滴る脂。

★カレー。調子に乗って辛くすると腹を壊す。真理なんてその辺に転がっているし、何ならトイレにある。真理。しり。siri。

★落合信彦の著作で「モサド」という組織を知ったティーンエイジャー。それは僕。

★戦争映画にハマっているという友人。人が戦争に惹きつけられるのはなぜだろうか。戦争反対と拒みながらも、気分はもう戦争。

★ステレオタイプ。例えば、シーク教徒のターバン。

★「一杯の茶のためには、世界など滅びていい」ドストエフスキー。

★「教養のない人は、何を言ったかではなく、誰が言ったかで判断する」誰か。

★断片。総体。宇宙。自分。

★薄暗い立体駐車場でヘッドライトを点けると、消すの忘れて去ってしまう。

★大体何も知らずに死んでいく。僕らは何か知り得るのだろうか。

★「自転車っていいな」って思う。思うだけ。

★ディストピア映画についての本を読む。読む必要がなかったくらい、現実はディストピアである。

★ブルースはそこかしこにあるし、詩もそこかしこにある。

★ゼロベース?

★日本語においては「なぜ?」という言葉は否定的なニュアンスを持つことが多い

★「自粛」「stay home」「ソーシャルディスタンス」「密」嫌いな言葉は使わない。メディアから与えられた言葉を疑うことなしにすんなり使うことの、秘められたる危険性。人は、自分が使う言葉によって作られる。自分がどういう言葉を使うかによって、自分という人間がどこに向かうのか、方向づけられる。

★違いを明らかにするだけでは分断に向かうだけだ。違うけど、同じところはないのか。そっちの方が大事だ。しかし同じだよね。っていう前提からスタートしちゃだめだ。

★最初から肯定することの胡散臭さ。徹底的な否定の後に真の肯定はやってくるのではなかろうか。

★日本に住んで日本語使ってるのに話通じないなんてことは日常茶飯事だ。同じ絵が好きなのに全く解釈が合わないなんてのもよくある話だ。

★視点、視線、視座、視界、視野。視ること、視られること。

★見る、視る、観る、診る、看る。みる。

★みすず書房の本は高いなあ。だけど大事にしたくなる本が多い。

★元々人前で喋るのは苦手。人前に出るのも苦手だったが、演奏活動などを通して最初よりは慣れる(慣れることに対する恐怖心もまたあるので、緊張しなくなることはない)。人前で喋ることへの苦手意識を克服しようと、イベントの司会などをやってみる。以前よりましになる。だが難しい司会。インタビューも難しい。難しいけど、奥が深い司会とインタビュー。幅広い見識、フラットな目線。見ること、聞くこと。

★魂というものを信じるか。

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