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2014.1.31.(金)

波濤







最近は青空率がちょっとだけ高くて何となく嬉しい。

福井の冬はいつも曇り空で、それはそういうものであって別に嫌いではないけれど。やはり人間光が射さないと生きていけないのかも知れない。それは生物学的な意味合いではもちろん言うまでもないのだけれど、そういうことではなく。100%の絶望の中では生きてゆかれぬ。99%絶望に覆われようと、厚い雲

の一点の隙間から一条の光が射すように、希望は1%あれば、多分人は生きてゆける。そう思う。

近頃希望ということについて考える。希望とは何か。その定義とは。そんなことに興味はないしよくわからないけれども。幸福と希望は違うのか。僕は幸福か。僕は希望を持っているか。でも希望にすがるなんてのは状況が絶望的な時に限ってのことだ。状況が絶望的であればあるほど強く求めるのは希望の光だ。幸福な時ほどそれを失う恐怖とそうなった時を想像して絶望的な気分になったりもする。まったく僕たちは希望とか絶望とか、形がないよくわからないものに逐一反応して右往左往している。滑稽かもしれないが、誰だってそうだ。それは僕たちの過去と未来が大きく原因しているに違いない。

過去がどうとか未来がどうとか言うつもりは今はない。だがしかし、やはり今という瞬間は常に人間には掴むことができず、僕たちは過去と未来に生きようとする。海岸に寄せては返す波濤が、二度と同じ形を顕さないのと同じように、僕たちの人生と存在は、形を変え続けていく。今とは瞬間的にこの世に顕れた様相に過ぎないのだろう。

あの海の波だけではない。あらゆる風景が、あらゆる人や生命の姿が、またはそれらの関係が、実は二度と同じ形をとることのない刹那的なものなのかも知れない。あまりに僕たちの人生が寄る辺のないもので、刹那的なものだから僕たちはいつも不安を感じていかなければならないように思えるかもしれないけど、すべての瞬間が二度と返らない貴重なものだと思った時、世界は違った姿を、いやもしかしたら真の姿を現すのかも知れない。

とすると、その一瞬にこそ、希望はある、ということになる。

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