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2014.5.27.(火)

オレンジ色の街角

人通りも絶え絶えの、オレンジ色の街かど。もうみんな家路についてしまったというのに、まだこの街に残っている者は多かれ少なかれ、訳ありだ。遠く去っていくエンジン音が、静寂の輪郭をより強調し、人が作りしこの街の、人よりむしろ街そのものの存在を際立てていく。人の不在は人の存在を再び想起させ、僕らは在りし日の面影をビルの曲がり角に見る。

世界中の誰にも気にも留められないような、ささやかな路上にも、世界中のどこにでもあるような、いや世界中のどこよりも悲哀に満ちた物語があったはずで、往来するタクシーのヘッドライトやテールライトの一つ一つ、営業を終えた喫茶店の小さな窓明かりの一つ一つにも、そう誰かの人生があり、誰かの人生があったはず。

街はネオンサインで着飾るが、うつむきがちに歩道を歩く人々には見えていない。

すべての街灯、すべてのネオンサインに深遠な意味を見出そうとするが、着飾る彼らの意志は聞かざる我々には届かない。駅前のジャズクラブから漏れ聞こえるハーマン・ミュートだけがネオンサインの存在意義を認めている。

閉じられたまま開くことのないシャッターが、帰ってくるかどうかわかりもしない主人を待ちわびている。昔そこに主人がいたことを知る老人たちは、再びシャッターが上がる時を待ちわびているが、おそらくそれを見届けるまで彼らの人生は長くは持たないだろう。在りし日の夢を、そして見ることのない未来の夢を抱えたまま彼らは去っていく。足かけ150年分の夢を抱えて、誰しもが眠りにつく。

いつかの夜と地続きの、まだ見ぬ夜の横断歩道を渡る。歩行者を急かす青緑色の点滅は、いつかどこかの街で見た点滅と同じだ。もうここがどこかはあまり意味を持たない。本当のことを言えば僕が誰かということも大した意味はないのだが、そんな考えが浮かぶ頭を必死に左右に振って、誰しもが小さな存在にしがみついて生きている。夜の街のオレンジ色の光の中に立ち尽くしながら。



焦点が合ってはぼやけて、ミクロとマクロを行き来する。

路地裏の暗がりにいても、表通りのオレンジは眩しい。

僕らの夢の中では、永遠に朝は来ない。

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