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2018.3.30.(金)

「独」「読」「毒」「読」

3月24日土曜日
かねてより温めていた、「朗読ライブ」というものが形になった。2015年3月から毎月「弾かず語り」という朗読の企画をやっている。それはライブというよりも、何と言うかテーブルを囲んでコーヒーを飲み、お菓子を食べながら好きな文章や詩を読み合う「お茶会」的な雰囲気で最近はやっているんだけど、もっとステージからお客さんに向かって表現する「ライブ」という形で朗読会をやりたくて、実は1年前2年前から構想はしていたのだけどなかなか実行に移せなくて(いや実際は行動に移さなかっただけだというのが証明されたのだけども)、今回ようやく初開催にこぎつけたという訳だ。
基本ルールは「オリジナル作品を10分間で朗読する」というシンプルなものだが、環境作りは僕なりに考え抜いたつもりで、「BGM・歌・楽器・映像・小道具の使用は禁止」とした。基本的には声と言葉のみで勝負するための土台だが、あえて「衣装と照明演出」はOKとした。ライブから視覚的要素は完全には排除できないし、あまりNGばかりでもつまらないと思ったから。ルールに関してはこの先も流動的に変えていく可能性はある。
開場すると、普段ライブで見たことのないお客さんがたくさん入ってきた。出演者に聞いても、誰の知り合いでもない人が多数混ざっているようで、新しい風を感じずにはいられなかったが、出演者の誰もが未経験の世界だけに、緊張感も高まった。

以下、すべての写真は田辺朋宏さんによって撮影されました

松波哲也
早速始まった。トップバッターは企画者たる僕自身である。まずは自分から突っ込まなくてはならない。何かとても緊張して、原稿を持つ手がプルプル震えたなあ。僕は物語を書いた。オリジナルの文章、特にテーマを設けずに何でも書けるが何を書いていいかわからないような今回の状況ではあったが、他の人が多分やるであろう「自分語り」はあえて避け、物語を「創作する」ということに重点を置いた。その方向性で来たのは僕だけだったわけだが、やってみてわかったことがたくさんあった。自分の弱点も含めて。次はどうしようか。

yurayurayuko(ゆらゆらゆうこ)
普段はシンギングボウルという楽器の奏者としてライブ活動などもしており、歌も扱わなければ声すら発せず、文章を創作するというところともあまり縁がない活動をしているんだが、今回はお誘いして出てもらえることになった。『弾かず語り』にはちょこちょこ来てくれていて、誰かの文章を朗読するんだが、その感覚というか声も好きだし、僕の中では彼女は絶対いける!と考え参加してもらった。結果、僕の目は間違ってなかったと思う。自分の普段やっていることを詩的に表現して見せた。衣装演出をしたのは彼女だけだった。インパクト強かった。

 

皇帝魚
福井ミュージックのアンダーグラウンドにおける帝王的存在、開催1週間前に準備はどうかと問うたところ「何も手をつけていない」との答え。これはきっと即興で来るな、と思ったらその通りの展開だったわけだが、その堂々たるステージっぷりに皆驚いたと思う。自分の歌の歌詞と、即興での言葉をうまく繋ぎ、紛れもない「皇帝魚の世界」を見せつけた。音楽やってる時とムード全く同じなんだよね。やっぱり言葉に対する感覚が常人のものとは違う。ずば抜けている。現代におけるビート詩人の様相。

 

ふあ
まだ20代初め。普段は弾き語りでライブしたり(こちらはまだやり始め)、インターネット上で声を使って朗読したりナレーションしたり、いわゆる声優に近い活動をしたりしている。細かいネタを3つほど朗読していて、自己紹介文のようなもの、清少納言の「枕草子」をアレンジしたものもあって、彼女の感覚の奥にあるものを感じたな。人前に出て何かをすることも、創作をすることも苦手、とのことだけど、誰よりもその願望は強いのではないかなと思った。朗読は聞き取りやすく、上手だった。普段の活動が活きているんだろうな。音楽も朗読も、もっと突っ込んでやってみてもらいたいと思った。経験を積んで技術をうまく使えれば、きっと素晴らしい表現者になるような気がするなあ。

 

秋本美穂
バンド活動や弾き語り活動、最近では演劇活動も始め、今度詩集を発売するイベントの開催も決まっているというマルチさだが、一貫しているのは言葉に対するこだわりかな。普段着感覚でお茶の間感覚ではあるが、ハッとさせられる感性は、この日も健在だった。何と言うか、歌もそうなんだけど、平成生まれの女子、らしからぬ、いい意味で「古い」感覚が、彼女の最大の武器のような気がする。この日一番張りつめていなくて普段着の空気を醸し出していたのは彼女。これって実は凄いことなんじゃないか。

 

イセユウ
自分が今まで生きてきて死にそうな目にあった出来事を、ジョーク混じりに語る。この日一番「自分語り」していたのは彼だった。もともと音楽だけでなく文学作品も愛好してきただけに、常々彼の詩人としての資質は感じてたんだけど、創作するってことに関して必要以上に身構えてしまう気持ちも感じてて、今回は思い切ってお誘いした。どんなものであれ、創作をしてステージに上がってお客さんに発信するという経験は彼にとってこの先の生きる力になると僕は信じたいし、次回は物語を創作したい、という意気込みも語ってくれた。声が一番デカかったのは彼である。

 

Ltd,Exp.
この日一番のインパクトを持っていたのはやはり彼だろうか。彼も「弾かず語り」に参加していたことがあって、詩を創作したり、即興で朗読したり、言葉に対する感覚は優れていると思うし、僕は彼の詩的感覚が好きなので、今回出てもらうことになった。普段はベースの弾き語りなどもしているんだけど、彼が傷つく可能性を考慮した上で敢えて言うが、技術的な面で彼の表現はとても拙い。音楽にしろ朗読にしろ。でもジリジリとした、溢れるような想いが、我々をして彼から目を離させなくするのである。緊張と興奮でフゥフゥ息を漏らしながら途切れ途切れに朗読する姿は、何か鬼気迫るものがあったな。これからどうなるだろうな。このままじゃダメな気もするし、このままじゃなきゃダメな気もする。彼の選択を待つ。

 

能勢愛子
トリは能勢さん。毎月の『弾かず語り』にも全出席(主催の僕ですら休んだことがあるというのに)、今回の『どくどく』にも主力メンバーとして関わっもらっている。何ていうか朗読に一番こだわりを持っているのはどう考えても彼女だと思うし、僕がトッパーで特攻なら能勢さんはトリで〆、というのは最初から頭にあった。「能勢愛子生前葬」と題し、自分で自分の葬式を朗読で。彼女もまた「自分語り」な訳だが、能勢さんの場合は歌ってる時も全く同じで、ある種の強い一貫性を感じる。弾かず語りでも感じるんだけど、能勢さんの言葉は本当にスッと入ってくる。朗読も技術的なことはわからないが、「巧い」のである。改めて、僕は今の能勢さんが作る「歌」を聞いてみたいと思ってしまった。

 

以上8名の出演者、すべての人が自分のカラーを存分に出していて、僕は最高に面白い夜だったと感じている。なぜこのイベントをやろうと思ったかというと、自分の言葉で、自分の声で語れる、表現できる人が福井にもっと増えたらいいと思ったからだ。それくらい、僕らは言葉に対して無自覚に、つまるところ自分の人生に対して無自覚に生きたりしている。認識は言葉でしかあり得ないが、認識の外にある1%の何かが「詩」だとするならば、世界の謎、人生の謎を解くカギは実は「詩」だけであると個人的には思ったりしている。あの沈む夕陽の美しさの謎、それが世界のカギである。

ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。次回の開催も決まっています。詳細はいずれ!

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