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2018.6.13.(水)

雑記16

★僕には収集癖はないと思う。意識的には集めているのは、福井関連の書籍くらい。

★でも基本的には好きになったミュージシャンなどは出ているアルバムをできれば全部聴きたいと思う。これは収集癖とは違うと思っている。好きならばダメな時期のアルバムも聴いてナンボ。良い時期のものだけをかいつまんで聴くような自称大ファン、自称マニアなんてモグリでしかない。一部だけ聴いて何がわかるというのだろう。人間だってそうだ。ちょっと付き合ったくらいでわかるなら苦労などしない。もちろん、好きなミュージシャンのすべてのアルバムを聴くのには、時間とお金に余裕がなくてはならないから、あくまでそういうつもりで、ということである。

★しかしながらBad ReligionとMotorheadとAC/DCだけは、どのアルバム聴いてもほぼ同じ。もはやアルバムを買わなくても「今回のアルバムも最高だったな!」と言えるバンドはこれくらいしかない。金太郎飴バンドここに極まれり。が、どのバンドも本当に微妙なマイナーチェンジをしていたりするので、やはりファンならばアルバムを聴きたいところだ。Motorheadの新作はもう叶わない訳だが。

★とは言え、「ファンならば何があってもついていくのが当然」という考え方には賛同できない。ファンはともかく、自分を裏切ったようなミュージシャンに付いていくような道理はない。しかし、世の中には自分の熱狂的ファンに対して「もう僕の音楽を聴かなくて良いから、自分の人生を生きてくれ」と言い放った凄い人もいる。リチャード・アシュクロフト。彼の音楽、それはもう音楽とは言えないかも知れない。「祈り」に近い。たしかに、何かに依存しなければならない人生なんて辛いと思う、僕も。自分の足で立つことさえ、簡単にはできない。

★僕も精神的に参っている時期に四六時中聴いていた人があった。それがなければ自分を保てないくらいだった。その時期を過ぎたら、僕はその音楽を聴かなくなった。あれだけ聴いていたのに、必要がなくなったのだ。今考えれば、それが音楽の役目のような気もする。でも、また最近そのミュージシャンのCDを聴いたりする。あの時とはまた違った聞こえ方がする。音楽って、凄い。依存を超えて、寄り添うような、そんな感覚もある。

★昔、落合信彦にハマッていた時期があった。18歳くらいの時である。散々詐欺師だのなんだの言われているし、ウブな僕も騙されたのかもしれないが、僕は彼の本に夢中になった。ワクワクしたし、本当に面白かったんだよね。ナチスの残党がUFOを作っているとか、JFKは誰が暗殺したんだとか。男ならハードボイルドに生きてみたいと思ったんだが、今はそうでもない。

★寺山修司にのめり込んだ時も同じだったな。まあ、寺山修司も詐欺師みたいな風情があるし。虚構に満ちた人。しかし、彼の言うとおり「人間だけがウソをつくのだし、ウソの中に真実がある」のである。現実世界にも真実を暴き立てようとする輩が多いが、彼らはどこにもたどり着けない。

★ほんとうの詩人というものは基本的には社会不適合者だと思っている。むしろ人間のクズであることが詩人の条件なのでは、とすら思っている。石川啄木とか中原中也とか、近くにいたら飛び蹴りカマしたいくらいムカつくクズ野郎なんだろうけど、彼らの言葉は、世界の真実なのだ。

 

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