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2018.10.16.(火)

雑記41

★19歳~20歳くらいの時、映画を1日に3本以上観ていた。休日には朝から晩まで10本くらい観ていたような気がする。映画館にも行ったが、あまりお金もないのでやはりレンタルビデオがほとんど。当時はまだVHSが主流で、住んでいたアパートのすぐ近所のレンタルビデオ屋に通っていた。アカデミー賞コーナー、カンヌ映画祭コーナーを始め、監督別コーナー、俳優別コーナーなど、今思えば割と「あ、これあるんですか」というものまである通な品揃えの店だったと思う。ある時はヒッチコックを、ある時はキューブリックを、またある時は黒澤明をひたすら観ていた。観た後は感想ノートまで付けていた。監督別作品リストも作って、端から端まで観ていた。もうそのノートはどこかに行ってしまって、何を観てその当時どう思ったのかわからないし、何ならほとんどの映画の内容も忘れてしまって覚えていない。でもなぜか変に覚えているのが、ジャック・リヴェットの「美しき諍い女」とかアンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」とか。どうしてかと言えば、何回観ても途中で寝てしまうのだ。で、また借りてくる、結局寝る、の繰り返しを18回くらいやっているから、映像などの印象は強く残っているという訳だ。だけど、最後まで見通したことは一度もない。寝てしまうのである。そろそろ観通したい気もするし、死ぬまで観通すことがないかも知れない。

★コクシネルの池田さんと話していたら、池田さんも最近1日3本くらい映画を観ているらしく、アマゾンプライムを大変重宝しているそうだ。僕もアマゾンプライムに入りたい。今の生活の中で、映画のためになかなか時間を割くことができないでいるんだけど、またガッツリ観たい気持ちはある。何かを創る人間って、やっぱりインプットをする必要があるんだな、どうしても。

★「スランプ」について。誰かが「スランプってのはインプットとアウトプットのバランスが崩れた時に起こるもの」と言っていた。誰だっけな。確かにインプット過多の時って自分を見失って混乱しがちだし、アウトプット過多の時ってカラカラの状態になってしまって何も出てこない、と考えると強ち間違ってはいないのかも知れない。

★真の音楽体験とか真の読書体験というのは、極めて自己を破壊される性質ものだと思う。そもそも何かを得ようとして音楽を聴いたり本を読んだりすると言うのは、さもしい行為でしかないと思っている。外部から与えられる刺激はどちらかというと「破壊」の側面が強く、「創造」っていうのはもっとこう、内側から起こってくるものなんだろうなと。

★「自分はアートってをわかってるんですのよ」みたいな顔をしている人の顔って、何かぶん殴りたくなってくる。なぜだろう。でも何か表現活動している人って気を抜けばいつでもそういう顔になりがちかも知れないな。僕がもしそういう顔していたら殴って欲しい。よけます。

★「アートって、ああ、引っ越しセンター??」と言った人がいた。(実話)

★衝撃を受けた一言。「哲学では腹は膨れないのだ」by マルティン・ハイデッガー

★残念ながらというべきか、音楽も聴いて腹が膨れるようなものではない。飢えている子供にはまずパンを与えなければどうしようもないという話。

★「横綱ラーメン」の外観のケレン味というのか、ああいうのは嫌いじゃない。

★北海道開拓史とか沖縄の民俗史なんかに興味がある。北海道の開拓史とアメリカの開拓史の共通点とは。

★江戸幕府瓦解後、職にあぶれた幕臣たちが北海道に渡ったり、アメリカに渡ったりという話をものの本で目にしたことがある。彼らの気持ちになって考えてみることしばし。武士の魂とは。

★アイヌとインディアンの思想って似た何かがある気がする。

★たまたま街で出会ったからライブに誘うとか、そういう縁を一番大事にしている。

★流れに乗るのか、流れに逆らうのか。それが問題だ。

 

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