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2014.10.6.(月)

余生

 そう、これは残された時間の、最初の一日の話だ。

 病院は、閑散としていた。日曜日の病院なんて、こんなもんだろうか。自動ドアを通り抜けてロビーの床石を靴のゴム底が打つボツン、ボツンとした響きも、閑散とした空間を不必要に印象付けるようで、勢いよく歩くのが憚られる。彼、ヤマコーさんは、ロビーの一角で僕を待っていてくれていた。車の事故で首を痛めて固定されているが、明るい笑顔はいつものままで、僕はほっとした。病室からラジカセを持ってきたようで、聴かせたい音源があると言って、静かなロビーのさらに隅っこの、誰も来ないであろう静か過ぎるソファに場を移して、色々話をした。彼が聴かせてくれる音源は、いつも彼が僕に会わせたがっている人の音源だ。彼は、いつも僕の助けになってくれるし、勇気が湧く言葉をかけてくれる。感謝の言葉もない。退院したら一緒にまた何かやりましょう。そんな話を1時間ほどした。

 そのまま帰るにはまだ早く、僕は気になっていたカフェ「森のめぐみ」に行ってみることにした。ヤマコーさんはそこのマスターとすでに知り合いだったので、僕が行くからよろしくとマスターに連絡してくれた。タイヤが雨に濡れた路面をシャーっという音を立てながら転がる、森のめぐみは、えちぜん鉄道大関駅のすぐ横にあるカフェだ。最近ここで音楽のイベントがたくさん行われていることは噂で知っていた。多くの人にも行ってみるよう勧められていた。森の中のロッジみたいな佇まい、濡れた落ち葉を踏んで入口に入ると、木のぬくもりが伝わる温かな空間が広がっている。冬の山で遭難して、ここにたどり着けたらどんなにか嬉しいだろう。ピアノがあって、様々なジャンルの作家が作品を陳列している棚があり、2階は吹き抜けのテラス風になっており、落ち着きがありながらも開放的な空間だ。

 席に着いて程なく、2階から階段を一人の男性が降りてきた。マスターの田嶋さんだ。ヤマコーさんから連絡を受けたらしく、すぐに松並さんですか、と声をかけてくれた。差し向いに座って、色々話をしてくれた。僕と同じく、長く東京に住んでいたこと、自分と家族の居場所を作るためにこのカフェを9年前にオープンしたこと、田舎の保守的な風土の中で苦労しながらも、音楽イベントを5年ほど前から始めたこと、最近になってようやく人が集まるようになってきたこと。川本真琴がランチを食べに来てたこと。苦悩しながらも何かを作り、自分のための、人のための居場所を作ろうとする田嶋さんの姿が思い浮かんだ。前日のライブのまま、車にギターが積んであったので、僕は少し歌わせてもらうことにした。

 冷たい雨が窓の外に降っていた。僕は「通り雨」を歌った。田嶋さんと、そこに居合わせてくれた人は喜んでくれたみたいだった。

 冷たい雨が降る、夕闇が街を侵食していく中、僕は森のめぐみを後にした。車のフロントガラスを大粒の雨が打ちつけ、ヘッドライトの光線がそれを大雑把な宇宙の星のように光らせた。冬は今はまだ遠い山の向こう、海の向こうにあるけれど、近いうちにこの街にもやってくるんだ。今までの経験から、僕はそれを知っている。

 風が冷たくなるほどに、どこかの窓から漏れてくる夕げの灯りは温かく見え、僕は神様から見たら間もなく終わってしまうであろうこの人生の一瞬の時を、懐かしく思って、寂しくなった。すぐに、もうすぐに終わってしまうんだ。僕はどこに行けるだろう。僕は、何を見られるんだろう。暗闇の中、僕の後ろ姿の輪郭と、窓の灯りだけが、ぽつりぽつりと浮かび上がって、さぞかしそれは、かなしくて、きれいな風景だろう。ある詩人が言っていた、「僕は風が吹く寒い冬の日に、コートの襟を立て、ポケットに手を突っ込んで、うつむいて歩くような大人になりたい」、僕はどんな大人になったろう。僕はどんな未来を思い描いていただろう。

明日は残された時間の、最初の一日。嵐が、来る。

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